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つらい気持ちを貯めこまない50の方法(精神的につらい、人生がつらい、仕事がつらい)

  
  
「つらい気持ちを貯め込む」
考えてみるとあまりないと思いながら、十二指腸潰瘍になったことを思い出しました。
自覚のないつらい気持ちというのがあるのでしょうね。
むしろ自覚がない方が多いのではないか。そんな気がします。
「つらい気持ちをためこまない50の方法 (著者:土沼雅子)」を読みました。





<自分の意見を言えますか?>

 自分の考えや意見を言わないことぐらい、誰もが経験しているかもしれません。でも、それが習慣化してしまうと、いろんな気持ちや思いが心の中にたまっていきます。
こうして、心がどんどん重くなっていくのですね。
何でも「はい」といってしまう。
それが、私がかつて経験したことでもあります。
私はもともと、自分の気持ちを抑えて、相手の反応に合わせる非主張的なタイプだったので、毎日のように気持をためこんでいました。


私の場合は、主張的なタイプなのでものすごく貯め込むということはありません。
それは相手に気を遣うないという意味ではなく、相手がどう感じるか気になるタイプだと思っています。
自分の中で言いたい事を貯め込む事ができないから、主張するのかもしれません。

相手は、周りはどう思うだろうと考え始めると止まらない時があります。
「相手の反応にビクビクしながら、それでも貯め込まずに言う」そんな感じなのです。
言い方は工夫しますが、言いたい事はそれなりに主張する、主張タイプという感じですね。

とことん気持ちを貯め込む人のことは、正直に言えばわかりません。
「自分の考えや自分の気持ちを素直に伝えること」というのは、決して悪い事ではありません。
「協調性」という言葉はありますが、自分を抑えて相手に合わせるということでは、本当の協調性とはいえないと思います。
それは、ただその場を無難にやり過ごそうとするだけ。
それで自分が壊れてしまうのであれば、とても残念なことだと思います。

ただ、言うが易しですね。ほんとに、協調性というのは難しいです。
相手に伝えるには、自分の思いを言葉にしなくてはいけません。
どのような言葉かによって場が変わるのはいうまでもありません。







<抱え込み易い感情とは>

感情にはさまざまな分類法がありますが、ここでは次の4つに分けてみます。
「満足感・幸福感」「悲しみ・うつの感情」「恐怖・不安」「怒りの感情」です。
なかでも貯め込みやすいのは、「満足感・幸福感」以外の3つです。
(中略)
なかなか自覚しにくいですが、これらの中で、「含まれている比重」が高い感情があります。それは「怒り」の感情です。実は、「イヤだな」「賛成できないな」という気持ちも怒りのひとつです。自分でも怒っているということに気づかずに、気持を貯め込んでいる場合があります。 


自分が今どんな感情をもっているかを考える事が大切なのだそうです。
「つまらない」「退屈だ」「無駄だな」「強情だな」「誤解だ」「恥をかかされた」など小さな苛立ちや批判も怒りに含まれるという事のようです。

そうしたことは、正直あまり意識してませんでした。
相手がそういうそぶりを見せた時はなんとなく感じますよね。
であれば、相手にそういうそぶりはみせないようにしていることもありそうです。

こうした小さな怒りを貯め込むということは、私にもあるはずです。
良く考えると、「怒りをぶちまける」ということはあまりないというか、無意識に避けています。
「自分の意見を主張すること」と「自分の怒りをぶちまけること」とは、自分の中で無意識に区別しているのでしょう。
だとすると、いつのまにか貯め込んでしまっていることは十分にあるんだなと思いました。


怒りの感情は期待との関係で生まれます。怒りが生まれたときは「相手に対して何らかの期待をしている」と考えてみましょう。実はここの、怒りを生じにくくさせる秘訣があります。


相手がこちらの意図と違う行動や言動をした時に、意識している事は、なぜこの人はこんな行動をするのか(こんなことを言うのか)を想像するようにしています。
相手の立場を100%知る由はありませんが、少しは想像できるはずです。

仕事柄、苦情処理をすることが多いわけで、立場が上がればあがるほど相手との「折衝」が増えてきます。
そういう経験から、まずは相手のいうことを聞くという癖がついています。
自己主張するタイプなので、相手が言う事を一方的に聞くのは苦痛な時がありますが、少しづつ慣れれ来ています。

この本では、「相手に何を期待しているのか」を問いかけようと書かれています。
そうすることで、怒りの元となる自分の本心に気づくということのようです。
上記のように「相手は?」という意識はありましたが、「自分は?」という意識は欠落していたなと思いました。
相手の立場がどうでどう思っているのかを想像するだけではなく、自分が相手に期待しすぎていないかを考えることも大切なのかもしれないと思いました。






<気持ちを言葉にだすこと>

気持を伝えない代償は大きい


ぼくたちは「否定的な感情を言葉に出してはいけない」という意識を持っているのではないでしょうか。
子どもの頃からそういう風に言われて育ってきました。
キレている人を見て、アイツは我慢できない奴だと思うわけです。

キレるのはちょっと問題だと思いますが、我慢大会の勝者になってもどうかと思います。
私も過去何度かキレたことがありますが、ストレスが貯まっていたという意識があったかといえば良く分かりません。
自分では言いたい事を言っているようで、実は気づかない所で我慢しているのかもしれません。

自分が言いたい事を言うと、相手にどう伝わるかが不安になります。
そういうことで言葉を無意識に呑み込んでいるのかもしれません。
どうやら、相手を傷つけずにすむ話し方、伝え方があるようです。


「私は」を主語にして話すのがポイントです。例えば次のように伝えてみます。
「私は今、イライラしているの」「私は今、がっかりしているの」「私は残念だと思う」
ネガティブな気持ちを伝えても、「私」を主語にしていれば、相手も一方的に責められているとは感じません。「やっぱりそうか」「悪いことをしたな」というように、謝罪の言葉を素直に伝えてくれることがあります。


そんなものなんですね。今はよく分かりませんが、工夫してみたいとおもいます。







<自分に優しくなれる考え方>


これまでに自己理解を深め、自己受容することが大切だとお話してきました。
自分で自分を受け入れ、認める事ができるようになると、不安や心配ごとも自分で消化し、対処できるようになります。(中略)実は気持ちをためこむ人の多くは、自己避難や自己批判しやすい人でもあります。


自己理解とは、自分の本当の気持ちを知ること。
自己受容とは、心の中で思っている感情と行動が一致した状態。

うーん。言葉としてはなんとなくイメージできるのですが、実際どういうことなのか、どうすればいいのか分かりにくいです。
心理学系の本を読んでいると、過去にさかのぼって原因を探るというのがよくあります。
人生の未解決な問題(=パールズ)というそうです。
「どんどん吐き出す」ということが、「本当の自分」に近づく大きな鍵なのかもしれません。

中年期に入った私が、気になるのが中高年のうつです。

中高年のうつの原因に多いのが、いくつもの役割に縛られて、本当の自分を生きて来れなかった事があげられます。40代終わりから50代の女性がうつになることが多く、男性の人数の倍近くいると考えられます。
これまで与えられた役割を演じてきた人、あるいは良妻賢母をやってきた人に多く「こうあるべきだ」と一生懸命やってきた真面目な方々ばかりです。
「自分の人生はこれでよかったのか」「間違っていたのかな」と考えた時、別の生き方が見えてきたり、本心に気がついたりして、深い心の底で絶望してしまうのです。


「絶望」これはそうなった人にしかわからないのかもしれません。
我が家も「絶望に近い時期」が何年かありました。
子育てと自分の人生の両立は、特に女性の場合、とても難しいのです。
上手くやっている人もいるかもしれませんが、それでも「自分の人生はこれでよかったのか」「間違っていたのかな」と考えない人はほとんどいないのではないでしょうか。

男性が稼ぎ頭の場合、これは単純です。
家族が生きて行くのに必要だから働くと単純化できます。もちろん、働かずに生計が立てられるのであれば、働く以外の方法でもよいでしょう。
ただし、単純がゆえに怖い面があります。
単純がゆえに逆に逃れなれないということになるので、長くその状態が続くと大変な事になります。
男性の方が自殺者が多いのはそういうことかもしれません。

「絶望に近い時期」と書いたのは、大袈裟かもしれませんが、大変な時期だったことは間違いないです。
それなりの時間が経過し、周りが見えてくると、どの道も平坦ではないということに気づきます。
少し出口が見えてくると、自分をより冷静に見つめられるようになります。
「それなりにやっていけばいい」というように考えられるようになったのだと思います。

そのような「自己否定」の世界から抜け出すのは、やはり「自己肯定」ということなのでしょう。
そこに向かうには、吐き出すしかないのかもしれません。
吐き出されたものを受け止める方は恐怖に固まりますが、毒が抜ける時期が必ず来ると信じるしかないですね。




 


<アサーティブな主張>


「アサーティブ」って下を噛みそうですが…、自分も相手も尊重したコミュニケーションができるということのようです。
本当にそんなことができるのでしょうか。
この本では、アメリカのバウアー夫妻が考案した「DESC」という方法を紹介しています。

「DESC」は、「自分の気持ちを表現しにくい場面」「意見を伝えにくい場面」で力を発揮する伝え方です。
Decribe:「相手の行動」を客観的に述べる
Express:「自分の感情」を表現する
Specify:相手に「行動変容」を頼む
Consider:自分が次にとる行動を伝える 


かなり細かいので、気になる人は本書を読んでみてください。
ポイントは、「D」では自分の感情は交えないこと。「E」では正直な気持ちを伝え、相手を責めないこと。「S]では小さな変化をお願いする、「C]では自分の次の行動を伝えるのがコツのようです。






<自分らしく>


「自分らしく」というのは理想です。
実際には難しいと思っています。というより「自分らしさって何?」とさえ思います。
それなりの役割を演じている自分は、自分らしいと言えるのでしょうか?

一生独身であれば、本当に自分らしく生きれるのかもしれません。
縛られない人が少しづつ出現しているように思いますが、独身の方ばかりです。
我々の様な、子どもがいる家庭はそれなりの役割を演じる部分があります。
この本はそうした家庭に対しての手ほどきが書かれているわけではなく、基本的には個人としてが中心に書かれているようです。

「与えられた役割に縛られなくてもいい」
「自分を愛することは、自分でない役割を演じるのをやめることです」
「心は正直です。心のつぶやきに耳を傾けましょう。もう人の期待にこたえなくていいのです」

これらは本当にそうだと思います。
ただ、この言葉だけを言われると、「そうは言ってもな…」となってしまいます。
自分の役割から逃れられないとしても、ほどほどの成果でよいのではないか。
柄ではない役割を果たさないといけない時も、ほどほどでよいのではないか。
ちょっとアレンジして考える必要はありますが、「こうでなくてはならない」からは開放されるように考えるのがよいのではないかと思います。

もう人の期待に答えなくていいのですのだって、人の期待通りの成果にならなくても仕方がないという感じで考えるものありではないでしょうか。
心というのは、意外にもどんどん変化して行くものではないでしょうか。
であれば、「こうでなくてはならない」という強烈な呪縛を少し緩めてやらないと、変化できなくなるかもしれません。

難しい事はわかりませんが、「心」についてはこれからも考えていければいいなと思います。


  




 

このエントリーは、2010年9月24日にUPしたものを修正しています。
  
 
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    「心配症」と上手に付き合う方法(小さいことが気になる人の気分転換、克服)

      
      
    「ストレスに弱い、すぐに不安を感じる」と自分のことを思ってきました。
    自分でも情けないなと思いつつ、ストレスに強そうな人を見て羨ましく思うときもありました。
    でも、ストレスに強そうと思っていた人が、心を壊しているのを目の当たりにすることがしばしば起こるようになりました。
    同期でも数割の人が心を壊した経験があるようです。

    そんな光景を見ていると、人間ってほんと分からないモノだなと思います。
    自分もそう悪くなないんだと、割と肯定的に考えられるようになりました。
    ストレスを感じない人はいないわけで、考え方の癖がただ「心配性」なだけなんですよね。
    その事を自分が認めているからこそ、対応できることもあるのです。
    「心配性と上手に付き合う方法(著者:大野裕)」を読みました。



    <心配と不安の違い>


    私はよく「不安」と言う言葉を使います。
    これは特に言葉の定義を知って使っているわけではありません。
    「心配」と「不安」はどう違うのでしょうか。

    「心配」と良く似た心の動きに「不安」があります。心配と不安は違うのかと聞かれる事がありますが、これは一種、言葉の遊びのようなところもあり、大きくは、同じような気分、似たような感情といってよいと思います。
     ただ、心配の場合には「……が心配だ」というように、心配な事柄がある程度見えている事が多いように思います。それと比べて不安な気分のときには、対象がはっきりしないということが大きな特徴です。


    あまり使い分けを気にしないで良さそうですね。
    ここでは不安と言う言葉より、心配という言葉をメインに使ってみます。




    <過去・現在・未来のどれに不安を感じるのか>


    心配症と自覚している人は、何に対して心配しているのでしょうか。
    対象は色々あると思いますがそれはそれとして、「過去・現在・未来」のどれかということです。

    ■(過去)過ぎた事をくよくよ悩む → あまりない
    ■(現在)今起こっている事にくよくよ悩む → 無くはないが逃げずに立ち向かうタイプ
    ■(未来)将来とか明日起こりそうなことを悩む → いろんなことを考えてしまい不安を覚える事がある

    私の場合は、未来に対してとか、これからしようとする事に対して、いろいろ考えすぎるという「思考の癖」があります。
    ここが自分が「心配性」であることを自覚しているポイントのようです。

    改めて考えてみると、済んでしまった事をくよくよすることはあまりありません。
    失敗もまた経験と考えられるタイプのようです。
    もしくは大きな挫折をまだ経験していないのかもしれません。
    これは、何に対して挫折と考えるかがあるのかなと思うんですが、このあたりが鈍感なのかもしれません。
    よくわからないですが、どうも過去にたいしてはくよくよしないようなのです。

    また、現在に対しては、「逃げても必ずいつかもっと大きくなって自分に跳ね返って来る」ということを、経験的に感じてきたのか、そういうポリシーを持っています。
    これは常に意識の中にあります。
    ここから、「自然の流れに身を任せる」といったスタンスにつながっている部分はありそうです。
    割と代わり身も早いようで、ポリシーが薄いのかなと思う事もあります。

    未来に関しては、かなり心配症です。
    いつのまにか、「ものごとの表と裏を考える癖」ができてしまいました。
    ものごとにはメリットもデメリットは必ずあるわけですから、そういう思考の癖を持ってしまうと、必ず不安感とぶち当ります。
    不安の源泉を自分なりに自己分析してみました。
    正しいのかどうかはわかりませんが、「思考の癖」を自覚する事は大切だと思います。




    <考え方の癖>

    「考え方のクセ」を変えようとしなくていい
    私たちが何かを心配しいるときには、次の二つの場合が考えられます。
    1つは、現実に困ったことがあって、その問題をどのように解決しようかと悩んでいる場合です。そのときに、問題があまりに大きくて、自分の力では解決できないのではないだろうかと思い始めると心配になっています。
    もう1つは、ある人が、性格的に小さなことでも心配になるタイプだという場合で、これがつまり「心配症」ということになります。 


    どちらも自分にあてはまっていると思います。
    もっと楽観的に考えられたらと思うのですが、そうはならないこともしばしばあります。

    そういう「考え方のクセ」は、そう簡単には変えられません。生まれつき考え込みやすいタイプの人もいますし、何度もつらい体験をしてとても慎重になっている人もいます。心配したり悩んだりすることが、自然な形で身についているのです。
     このようにいうと、「やはり自分はダメな人間なんだ。このまま変わらなければ、ずっと苦しいままだ」と考えて自分を責める人もいますが、そんなことは決してありません。大事なのは考え方を変えることではなく、そのバランスの取り方なのです。 


    私は、生まれつき考え込みやすいタイプの人です。
    時にこれを疎ましく思うときがあります。
    でも、どうしたらそこから脱するのかわかりません。
    ゆえに、「生まれつき」そうだと思う方が楽です。

    どのみち変える事はできないと経験的にも思います。
    そして、この本でもそう簡単には変えられないと書いています。
    「バランスを取る」という言葉はとても好きです。
    ものごとのメリット・デメリットの両方を意識することが、この考え方のクセと相性が良いようです。

    要するに一方的に悪い方向ばかり考えるのではなく、意識的にメリットを探すという事です。
    逆に、調子のよい話では、いいことばかり考えるのではなく、意識的にデメリットを探る事です。
    よく、ブログでも「ゼロか百かの思考は嫌い」ということを書きます。
    自分が生まれつき考え込みやすいタイプということにたいして、経験的に生み出された、うさみみなりの対処法なんだと思います。

    「生まれつき考え込みやすい」ということにも、メリットもデメリットもあるということです。
    それに、冒頭にも書きましたが、「ストレスに強そうと思っていた人が、心を壊しているのを目の当たり」してきたことで、ストレスに強い性格なんてたぶんない。
    あるとすれば、己を知り自分なりの対処法を自分で考え身につけることだということではないかと思います。

    ふだんは楽観的に見える人が、ふとしたはずみで心配で仕方がなくなることもあります。そういう人はかえって、悩むことに慣れていないので、それまでの体験したことのない感情に戸惑ってしまいます。
    「こんなことで悩むなんて、自分はいったいどうしたのだろう」と自分自身を疑ってしまいます。自分が何かを心配するなどということはありえないと考えて、自分が悩んでいること自体を否定しようとします。
     悩んでいる自分が情けなく思えて、弱気になっている自分を責める事があります。


    そういうこともあるようです。
    心配症と悲観的とはイコールではないと思いますが、何事に対しても楽観的ではないと思うので、このあたりのことはいまいちピンとこないです。

    「不安を感じる自分を認める」ことは、とても大事なことではないでしょうか。
    自分と向き合う上で、これを認める事が出来ると、意外に楽になります。
    そういうものだから仕方がないと思えるし、それは確かに低い位置かもしれないけど、それ以上は下がらないはず。
    それを認められなければ、それ以上下がって心を壊す事もあるのかもしれないと思いました。





    <心配の種を育てないように>


    心配症と上手に付き合う方法について考えてみます。
    一番大切な事は、どんなことでもやりすぎないことです。
    つまり、「心配しすぎない」ようにするためにはどうすればいいかということです。

    ■「ストレスがたまっちゃって」と口にだしてみる。
    ■無理に動いて不安をかきたてない
    ■何が心配なのかを、はっきりさせる(書きだす)
    ■心配なことを思い切ってやってみる
    ■それでも心配が消えない時は、「逃げる」ことも悪いことではない


    ストレスがたまった時に、それがどんなものか周りの人に正確に伝えようとするより、「ストレスがたまっちゃって」のように曖昧な表現の方が相手に上手く伝わる事があるということのようです。
    人間関係のパワーのは、なんとなく通じあえたと感じると、それだけで気持ちが楽になるもののようです。

    なんとかしようともがく(前進する)より、ちょっと立ち止まったり、後退してみることも考えてみることも大事なようです。
    動かない事で不安になるけど、時間が解決することもあるということでしょうか。

    「何か心配なのかをはっきりさせること」は、とても大切な事だと思います。
    心配症であるがゆえに、ここは得意な方です。
    頭の中で考えるだけというのは、かなりつらいし、出口をみつけるのは難しいと思います。

    例えば、「書きだす」とか「身近な人に話してみる」とか。
    他人に話すことで他の視点が得られるとか、理解してもらうことで楽になる事があるでしょう。
    (でも、なんでも他人に言えるものではありません。)

    書きだすことと、頭で考えることは、どちらも他人の視点をもらうことではなく、自分の中での対応になります。
    どちらも同じことの様ですが、文書化する事は意外に効果があります。
    ブログを書いている人には自明かもしれませんが、文書にするにはある程度まとめないといけないという作業が必須です。
    今こうしてエントリーを書いている行為も、頭の中で思う事をごちゃごちゃとそのまま書けば膨大な文字数になるだろうし、まったくまとまりがないだろうと思います。
    書くことで頭の中が整理されていく中でスッキリすることもしばしばあります。
    書く事が苦手と言う人もおられると思いますが、上手く書く必要はないのです。
    私も苦手で下手ですが、自分の考えをまとめるにはとても良いと思っています。
    文書は下手でも、しっかりと想いが伝わればいいのではないでしょうか。

    「心配な事を思い切ってやってみる」というのは、経験的にありだと思います。
    向き合うのか向き合わないのかということですが、向き合わなければ不安は消えるというものではありません。
    向き合って失敗する事もあるだろうし、取り越し苦労だったということもあります。
    どちらにせよ、次の段階に移るわけですから、ちょっとづつでもやってみるのは悪くないかもしれません。

    「逃げても必ずいつかもっと大きくなって自分に跳ね返って来る」という考えは、意外に過去はくよくよしないという性格を生かした対処法だと思っています。

    このことの反する事に、「逃げるのは悪いことではない」というのがあります。
    これは常に逃げるのが正しいではなく、「逃げる事もあり」と言う意味です。
    心配しすぎないことが大切ですが、心配の悪循環に陥りそうな時は、逃げるのもありでしょう。
    「逃げない」という呪縛で自分を縛るのは愚かですから。




    <プラス思考とマイナス思考>

    今の世の中では、いろんな局面で「プラス思考でいこう」「前向きにチャレンジする姿勢が大切」だと言われますが、私は必ずしもそうは思いません。ものごとにも人間にも、何でもいい面と悪い面がありますから、基本的にはその両方をバランスよく見ていけるような、幅の広い視野、柔軟な頭が一番いいのだと思います。 ただし、不安が強いときや気分が落ち込んでいるときには、何でもマイナス方向、後ろ向きに考え方が狭くなっていきます。そんなときには、ものの見方や考え方を意識的にプラス方向に向けていくことによって、少しでもバランスを取り戻してもう一度視野を広げていく必要があります。


    「バランス」という言葉がとても大好きです。
    大好きな「バランス」ですが、これほど難しいことはありません。
    言うがやすし、実際はどれが最適バランスかなんてわからないことが多いです。

    でも、大切なのは「最適バランスを探すこと」だけではありません。
    むしろ、「プラス思考には慎重さを、マイナス思考には案ずるより産むがやすしを」といったような、逆のベクトルという意識を持つ事が、現実にできることだと思います。

    「最適バランス」のような最高を目指してしまうと、出口がせまくなります。
    もちろんそれができれば最高です。
    でも、難しい事を目指すより、とりあえずベターな方向に歩んでみるのが現実的です。

    「あきらめる」、「妥協する」という言葉があります。
    とてもマイナスイメージの強い言葉です。
    でも、「一段下で妥協する」とか「この程度であきらめる」というのは、言い換えれば「そこで達成(成果)が得られる」という事ですから、必ずしもマイナス思考ではないのかなと思うようになりました。





    <しゃあないやん>


    ちょっと投げやり的な言葉に「仕方がない」があります。
    関西では、「しゃあない」、「しゃあないやん」ですね。
    「仕方がない」という言葉は、心の負担を軽くする不思議な魅力がある言葉です。

    しかし、この言葉。他人から言われてもあまり効果がありません。
    むしろ、理解してもらえていないと思ってしまうかもしれません。
    「しゃあない」は自分がそう思えなければダメな言葉です。
    自分が仕方がないと思えれば、それは1つの出口となりうると思います。

    バランスを取るというのは、「ああでもない、こうでもない」だったりします。
    「一体どっちやねん」と思う人もおられるかもしれませんね。


      




     
    このエントリーは、2010年7月6日にUPしたものを修正しています。
       
      
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    家族の心に休日を(いつもこころに休日を―家族と自分を見つめる心理カウンセリング54)

        
    家族が家族であることって何なのか。
    一つは「心のつながり」なんだと思っています。
    タイトルに惹かれて「いつもこころに休日を (著者:菅野泰蔵)」を読みました。
    カウンセラーが見てきた家族のエピソードが集められた本です。




    <親が子を育てること>


    親が子を育てること、つまり子育ての目標とは何だろう?
    それは親がいなくても生きていける人間になること、それだけである。
    いくら考えても、そこにしか行き着かないような、実にシンプルな問題なのである。
    そうか、それなら、そのために何が必要なのか考えよう。


    いろんな心の本を読んで強く意識していることは、家庭環境が子どもにとってすごく大きいということであり、大人になってからも相当影響を及ぼすということです。
    特に気になっているのは、「娘にとって父親の愛情はとても大切だ」ということです。

    人は経験したことしかわからない。
    これが本当であるならば、幸せな家庭で育った子どもは幸せな家庭のことを知っているのでいいのだが、なにかしらの事情で幸福と言えない家庭に育ったら幸福な家庭を持つことに何かしらのハードルを持つということになる。
    本当にそうなのだろうか。
    分からないが夫婦がお互いを尊敬しあい、仲よくすることがとても大切なことだということは分かります。

    夫婦とは、血のつながっていない家族のことである。それはつまり他人なのだ。その絆は自分たちで築いていくほかはない。
    絆の深い夫婦ならば、いやでも子どもは順調に育っていくものである。そうか、それならお互いを大事にしよう


    そう考えると子育てはとてもシンプルになります。
    子育てをしていると実にいろんなことがありますが、「絆」を切れないように踏ん張ることが、子どもに何かを伝えているということなのかもしれません。
    消えない絆などないんだろうけど、絆が切れないように、消えいないようにすることは大切です。
    軽んじれば簡単に吹き飛ぶのも絆、危機により強固になるのも絆です。
    子どもたちが「自分の考えで生きていける」ようになるために、大切なことは何かを考えながら、丁寧に子育てしたいと思います。




    <演じる子ども>


    親にとっての「いい子」は、子どもからすれば「がまんの子」を演じているわけです。がまんの奥には見捨てられる不安があり、自分が生きられないときに様々な問題や症状をだしてきます。田中さんの息子さんの場合は、青年期に入り、閉じこもりという現象を表に現したのです。自分らしくなるために、多かれ少なかれ誰でも起こりうることです。


    今までいい子に育ってきた息子さんが大学受験に失敗して閉じこもりになったカウンセリングのお話です。

    関わり方のアドバイスとして
    ■体を向けて聞くこと
    ■イエス、ノーをはっきりさせること
    ■何歳ぐらいの子どもが表れているか見極めること
    が挙げられています。

    子育ての中で「聴く姿勢」というのが大事だといろんな本を読んで学びました。
    男性には「右から左」というように、人の話を聞かない傾向があるといわれていますけど、実はうさみみもそうです。
    無理にでも「聴くべし」という意識を持ってそれでも足りないくらい…。

    「体を向けて話を聞く」というのは、全身で聞くということのようで、そうすることで「つながった」感じが持てるということです。
    耳だけではダメなんだね。確かにそうだと思います。

    この3つのポイントを気をつけて反応をノートに記録していくことで解決に向かったようです。
    子どもに接して気付いたことを記録する。
    子どもの睡眠リズムや生活の内容、対話した時に言葉と態度などを記録する。

    子どもに対して注意を払うことで、より深いコミットメント(関わり)が育ってきます。その意識性が家族を変えていく力になるのです。


    その後、田中さんが「うるさい、いちいち干渉するな」という息子さんの言葉の意味を理解されたそうです。
    幼いころ病弱だった長男にばかり目を向けていて、その子の話は聞かずにあれしなさい、これしなさいと指示していただけだったことに気がついたということでした。

    子どもの心とつながるには、親も過去の自分を責めないで、今ここで起こっている現象に向かい合うことから始めることです。


    親として気がつかないところで足りない部分があるのではという不安はあります。
    でも、それはやっぱり分からないこともあるはずです。
    完璧は無理というところからスタートし、「聴くこと」と「注意を払うこと」を意識することを心がけたいと思います。

    「胃潰瘍になってよかった」というエピソードを読んで共感しました。
    私も十二指腸潰瘍からの出血で入院して以来、みんなが気を使ってくれているような気がしてちょっとうれしいんです。





    <精神を伝える>


    家族から次の家族に引き継がれていくものは何だろう?
    血なのか?それは確かにそうだ。それから?
    そう、財産ということもある。
    でも、それだけでは何かが足りないように思えてくる。そうか、それならば私は、私の精神(スピリット)を子どもに伝えたい。 


    「親の背中を見て子どもは育つ」とよく言われます。
    自分の想いを子どもに伝えるのは、言葉だけではないですよね。

    逆もあるんですね。
    子どもが一人で歩き始めた時、子どもの背中から今までにない何かを学ぶこともあります。
    大人への階段をゆっくりあがっていく娘を見ていて、学ぶこと、気がついたことがたくさんありますね。

    そして親としての役割が変化していくのですね。
    知らず知らずのうちに植えつけられていく「こうあるべき」から、ほんの少し自由になる言葉をかけてあげるような段階に差し掛かっているのかなと思ったり。
    だんだん教えることが少なくなり、「想いとか考え方」を伝えることが増えていくのでしょうね。
    この本の著者は「精神」と言っていますが、私的には「想い」かな。

    人は、基本的に、自分の学んだことしか伝えられません。自分の親子関係から学べなかったことは、よそから補給すればいいのです。


    素晴らしい言葉です。
    親としての見えないプレッシャーを減らしてくれる気がします。



      






    このエントリーは、2010年12月31日にUPしたものを修正しています。

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    しがみつかない生き方(香山リカ)

      
      
    「しがみつかない生き方 ふつうの幸せを手に入れる10のルール 著者:香山リカ」を読みました。
    <勝間和代を目指さない>という帯で話題になった本です。
    驚いた事に勝間さんに了解を取った上での出版ではなかったようです。

    「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルールについては以下の通り
    ■恋愛にすべてを捧げない
    ■自慢・自己PRをしない
    ■すぐに白黒つけない
    ■老・病・死で落ち込まない
    ■すぐに水に流さない
    ■仕事に夢をもとめない
    ■子どもにしがみつかない
    ■お金にしがみつかない
    ■生まれた意味を問わない
    ■<勝間和代>を目指さない

    1990年代には、診察室に、客観的な幸福と主観的な幸福とにかなりズレがある人が多くやってきた。つまり、客観的には十分、「普通に幸せ」であってもそれに満足できず、「本来ならもっと幸せでもいいはず」と思って苦しむ人たちだ。この人たちの場合は、「私は特別な人間であるはず」という自己愛的な思いが、目の前の「ふつうの幸せ」を見えなくしてしまっている。 


    さまよいつづけ、やりたいことを探しても、なかなか見つからないということです。
    ほどほどで満足できないから、上を上をと目指すのだけど、上には上がいるのでなかなか自分の存在価値を見いだせないというジレンマがあるのでしょうか。

    「私は特別な人間であるはず」という想いは、こどもの頃のには確かにありました。
    「自分はすごい必殺技を使えるようになる」なんて考えていたことすらあります。
    それは向上心ではなくて、自分が特別であるということに近く、そう思いたい気持ちはだれにもあると思います。
    でも、そうではないことにいつかは気付く人がほとんどです。
    だれもがうらやむ特別な存在になれるのは、ほんの一握りなんですよね。

    こんなところで満足したくないという気持ちはだれにでもあったと思います。
    不幸なことあるとすれば、そこから抜けられないでさまよい続けるということなのかもしれませんね。
    ささやかな幸せを見落としていることに気づかない不幸せというのはあると思います。
    若いころは夢見るものです。
    年をとるに従って、自分が特別ではないという寂しさと引き換えに、ささやかな幸せが大切なんだなという感じになってきますね。


    「愛より早く」どころか「考えるより速く」、優劣や勝ち負け、危険とそうでないものを決めることでしか、自分を安心させることができない、というゲームを繰り返すと、その先には何が起きるのか。おそらくある人は、ゲームに疲弊し、その時点で倒れてうつ病などの心の病に陥るだろう。また、ついに自分が「負け」というシールを貼られる日がやって来て、生きる希望を根こそぎ奪われてしまうこともあると思う。 


    ゼロか百かという考え方に押しつぶされる人が増えているのかもしれないです。
    ゼロか百かというのは、考え方としてはすごくシンプルで簡単だと思います。
    論理的な思考が行きつきやすいのは、ゼロか百かが多いなと思う事が多いです。

    その中間というのは、本当は居心地がいいはずなんだけど、それでいいのかという説明がつきにくいですよね。
    私のような、いいかげんな性格であっても論理的思考を尽くすのは魅力的です。
    「効率」とか「合理的」という言葉は、昔は好きでしたが、今はあまり好きではありません。
    嫌いというよりも、何かが微妙に違うという違和感を感じるんです。
    このように好みは時と共に変化するようです。

    「あいまいさ」を認める事ができるときっと楽になるのでしょう。
    ショックには違いなくても、挫折で立ち直れないほど、心に深い傷を追う事はなくなるかもしれません。
    あいまいは中途半端を連想してしまいますけど、「あいまい」という状況で自分を見出せるのであれば、これは生きる技術といえるかもしれません。

    最近好きな言葉は、「ほどほど」です。
    目標の下方修正を平気でできるようになりつつあります。
    「何となくこんなもんでいいんじゃない?」という感じが好きになっています。
    「そんな中途半端だと、あんたは何に満足しているの?」といわれそうですが、絶対的な満足なんて本当に手に入るのでしょうか。


    「不妊治療を受けているときには、私が本当にやりたいのは母親になること、と信じて疑わなかったのですが、いざ子どもが生まれてみると、仕事で充実している人が羨ましくて…」、「この業界でナンバーワンになることがずっと夢だったんです。でも、それが実現できても思ったほどの達成感はありませんでした。もっとランクが下でも、子どもを持って楽しそうに働いている後輩を見たりしていると、やっぱりそっちのほうが人として真っ当だったかも、と思って虚しくなりました。」
    「これだ」と確信していたはずでも、人間の気持など体調が悪かったり、ふと他人をみたりするだけで、簡単に変わってしまう。 


    だれでも自分が歩まなかった道の方がよかったのかと思うことはあるはずです。
    決して交わる事のない「パラレルワールド」
    最善の道を探そうとすればするほど、そういう気持ちになりやすいと思います。

    効率とか合理的に対して、違和感を持つ事があると書きましたけど、その行きつく先に何があるのかを考えると、そこに違和感の本質があるのかなと思っています。
    追求して1点しか見つめていなかった人ほど、失うものに途中で気付きにくいのかもしれません。
    もちろん、そこまで追求しない人でも、ほとんどの人が歩まなかった道に対する思いを噴き出すことがあります。
    それが人間と言うものでしょう。


    「パンのために働いている」で十分


    「パンのために働いている」というのは、香山さんの思いの中でかなり深いものがあるようです。
    私が就職したての時の研修係の人に、「何のために仕事をするのか?」と聞かれて、「生活するため」と答えた記憶があります。
    きっと「社会のため」とか答えてほしかったのでしょう。
    パンのため以外のことを言っていた同期もいましたが、生活のためと答えた人の方がわずかに多かったと記憶しています。
    研修係の人から見ると、実に味気ない答えでしょうね。

    就職活動で「やりたい事がみつからない」ということで就職浪人する人もおられるようです。
    不況の影響もあるでしょうが、「自分がやりたいことを見つけて就職活動をしないと乗り遅れる」なんてマニュアルがあるのかもしれませんね。
    私は、そこまでのこだわりはなかったんでそこそこやりたい職種と待遇で選びました。

    「仕事が嫌いなのか?」と聞かれそうですが、好きですよ。
    とことん極めたいという気持ちはないけど、同じ人生ならいろんな経験したいなと思うので、チャレンジ精神は持ち合わせているつもりです。
    のめり込みすぎるときもありましたけど、一人で突っ走っても意味はないと感じてからは、「ほどほど」でもいいかなと思えるようになりました。


    お金の教育だと思って後ずさりしている大人はいませんか?子どもはお金に興味を持ち、その秘めた魔力を知りたがっているのです。大人がダンマリを決め込んでいると間違った情報が入り、人生を台無しにしてしまうかもしれません。もっとオープンにお金のことをこどもと話してみませんか?なぜなら、子どもはお金が好きやねん! 


    私の親はお金の話をしてくれたことはありませんでした。
    親の世代はお金の話ははしたないという雰囲気があったのでしょう。
    「いつお金と向き合うのか」ということが大きいとおもっています。
    人生を台無しにしてしまった人にいつまでも向き合ってない人が多いなと思うことはあります。

    確かに、小さい子どもはお金が好きでした。
    娘は、畑で働いてる最中に、「いま給料はいくらか?」とよく聞いてきました。
    まあ、微妙な駆け引きを楽しんでいました。
    我が家では資産状況も子どもの前で隠さず話しています。
    聞いているかどうかは知りませんけど、お金の話についてはかなりオープンな家庭だと思います。


    こうやって見てくると、どう考えても「なぜ生まれたか」などという問いにはあまり深く立ち入らない方が身のためだ。ということになりそうだ。もちろん、だからといって、人生には生きる価値もないということにはならない。しかし、生まれた意味にこだわりすぎると、逆に、人生の空しさを強く感じさせることにもなりかねない。 


    あまり大上段にかまえず、一喜一憂しながら、ぼんやり歩いていくくらいがいいのかもしれませんね。


    「あなたもこのメソッドで成功の道へ」というメッセージが世の中にあふれているが、その道に乗るためには、「失敗することなんてない、失敗するのは本人のせい」という強烈な否認のメカニズムを心の中で起動させてはならない。否認は、それだけでは病的なものではないが、いつまでも続いたり強さが増したりすると、その人を神経症などの病的な状況に追い込む原因になる。」


    「自己責任」という言葉が、人々の心に重くのしかかっている時代です。
    自己責任論は、「自分の行った事が自分に跳ね返って来る。逆に言えば、何もしなければ何も得られない。」という程度がよいと思っています。

    「経済的に成功しないのは努力が足りないからだ」なんてところまでいってしまうと、どこまでもはてしない自己責任論になってしまう気がします。
    それに耐えれる人はそれで全然問題ないと思いますが、そうではない人は、つぶれるかもしれません。

    因果応報です。「何もしない人は何も得られない」という自己責任論くらいでいいと思います。
    「そこそこ頑張って、そこそこ得られる」で十分と思えるのが良さそうです。
    もっとも、その「そこそこ」が難しいのですけど。


      

     



    このエントリーは、2010年8月26日にUPしたものを修正しています。
     
     
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  • テーマ : 幸せになる考え方
    ジャンル : 心と身体

    体組成計の原理(BIA法)と体水分量の標準(タニタ・オムロン)

      
      
    体組成計の主要なメーカーである「タニタ」や「オムロン」では、体組成計の原理としてはBIA法というのを使っているそうです。

    株式会社タニタのホームページ 体組成計の原理(BIA法)より】
    タニタの体組成計はBIA法を用いています。BIA法(Bioelectrical Impedance)は生体組織の電気抵抗値(生体インピーダンス)を測定することで、体脂肪率などの体組成を推定する方法です。 生体組織において、脂肪組織はほとんど電気を通しませんが、筋肉などの電解質を多く含む組織は電気を通しやすい性質があります。 電気の通りにくさ(電気抵抗と言います)をはかることで脂肪とそれ以外の組織の割合を推測しています。


    株式会社オムロンのホームページ 体重体組成計の測定原理より
    オムロンの体重体組成計は、測定時に体に微弱な電流を流し、その抵抗値を計測して脂肪や筋肉率などの体組成を推定しています。この方法は、BI法(Bioelectrical Impedance <生体インピーダンス> 法)と呼ばれています。脂肪は電気をほとんど通しませんが、筋肉や血管など水分の多い組織は電気を通しやすいという性質を利用して、脂肪とそれ以外の組織の割合を推定しているというわけです。
    体に流す電流は非常に微弱(50キロヘルツ、500マイクロアンペア)ですので、ビリビリと刺激を感じるようなこともなく、体にも安全です。






    <体水分量の標準範囲>


    体組成計の測定の中に、「体水分率」というのがあります。
    「体水分率」とは、体重に占める体水分の割合のことです。
    この体水分量の標準範囲はどのくらいなのでしょうか。

    人の体重に占める体水分量は、体脂肪率が標準範囲の場合、男性:約55%~65%、女性:約45%~60%となるそうです。
    とはいえ、体水分量は、体が大きな人や、筋肉量の多い人ほど体水分量は多くなるそうです。



    体水分とは、体内に含まれる水分の事で、血液、リンパ液、細胞外液、細胞内液などをいいます。
    体水分(体内の水)は、細胞内液と細胞外液に分けられます。
    ■細胞内液(細胞内に存在する水):体内水分の約3分の2
    ■細胞外液(体内を循環する血液とリンパ液、細胞と細胞の間に存在する細胞間液など):体内水分の約3分の1

    体水分率は女性よりも男性の方が高い傾向にあります。
    体水分(体内の水)は、生命活動の基盤となっていて、生まれたころは体水分率が高く、高齢になるにつれ体水分率が下がってきます。

    ■胎児の体水分率:約90%
    ■新生児の体水分率:約75%
    ■子どもの体水分率:約70%
    ■成人の体水分率:約60~65%
    ■老人の体水分率:50~55%




    <体水分量・体水分率が測れる体組成計>


    私が持っている体組成計では、体重、体脂肪、体水分量、筋肉量、推定骨量、基礎代謝量が測れます。

            

    (関連するエントリー)おすすめの体重体組成計・体重計(タニタ、オムロン、DRETEC)で毎日2回体重を測る~計るだけダイエットのエクセルシート


    体組成計でおすすめの呼び声が高い人気のメーカーは、タニタ(TANITA)とオムロン(OMRON)ですよね。
    体水分率や体水分量を測定できる体組成計は、割と珍しいようです。
    タニタ(TANITA)には、体水分率を測定できる体組成計があります。

    【体水分率が測定できる体組成計(タニタ)BC-612】
    ・表示内容=体重・体脂肪率・内臓脂肪レベル・基礎代謝量・体内年齢・筋肉量・推定骨量・左右部位別測定(脂肪率・筋肉量バー判定)BMI・体水分率

            


    私は、体組成計で体重管理をするようになってからダイエットに成功した結果、人間ドック「腹部超音波検査(エコー)は今回原料のため脂肪肝は認めません」ということで脂肪肝が消えました。

    ダイエットで脂肪肝が消えた(脂肪肝改善、腹部エコー、コレステロールも減少、メタボリックシンドロームからも脱出)

    自分に合った体組成計を1つ持っていると、毎日体重を計るだけで、自然に気が引き締まります。
     
     



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  • テーマ : お金の勉強
    ジャンル : 株式・投資・マネー

    その後のツレがうつになりましてを読みました(細川 貂々さんのブログ)

      
    「その後のツレがうつになりまして(著者:細川 貂々)」を読みました。

    この本を見て中学生の娘が、「あっ、ツレうつだ」と言ったのには少々びっくりしたんですけど、その謎は「宮崎あおいさんが主演で「ツレがうつになりまして。」映画化されていたからでした。
    2011年10月8日に映画公開されていたそうで、そういえばそういう記憶もありますね。

    私が読んだ「その後のツレがうつになりまして」は、細川 貂々さんのベストセラーの「ツレがうつになりまして」の続編ということで、前編を読んでいない私でもこの続編は理解できました。
    ツレさんがよくなっていく過程や、体調が悪くなるときのパターンや、やってはいけないこと、細川 貂々さんが本を書こう思った時のエピソードが添えられ、「あっ、うつ病はちゃんと治るんだ。」ということを書かないとと思われたそうです。
    「イグアナの嫁」という本に、ツレさんがうつ病になるまでの経緯とその後の様子が書かれているそうです。

    私もツレさんといろいろ似ている点がありますし、思い当たる節もいくつかあるので、すごく共感しながら読めました。
    とにかく、マンガエッセイなので読みやすいんです。
    最初はすごく薄い本だし、ほとんどマンガだしと思ったのですが、読み終えてみると、この薄さも納得でした。


      




    <断ることのできない弱点>


    「断ることのできない」というと、一見良いように聞こえますが、今では私的にも自分の弱点だと思っています。
    もちろんプライベートならば明らかに断るべきものは断りますけど、仕事だと無意識にカッコつけてしまうのか、無理してでも引き受けてしまう傾向があって、それで結果的にボロボロになったことがあります。
    まあ、仕事のなすくりつけ合いに、極端に弱いといいますか。
    抱えすぎると結局は周りに迷惑をかけることになるわけですので、「なんとかなるだろう」という自分の甘さに嫌気をさす事が多いのです。

    ツレさんも、自分の中で一番の弱点は「断ることのできない性格」だと書かれていて、自分にとって過大な負担でも、他の人の心情を考えると断る事が出来なくなるそうで、決してカッコつけているわけでも、自分がイヤな奴になるのに耐えられないわけでもないけど、断るより引き受けた方が楽だと自己分析されています。
    私も同じような所があるんですけど、私の場合は更にカッコつけたがり屋なんだろうと思います。
    それが私の弱点なんだなと。





    <会社をやめてはいけない>


    とことん追い詰められた時「会社をやめようかな」と思う時があります。
    でも、追い詰められた状況(うつの手前)やうつ状態では、そういう人生の大きな選択はしてはいけないんですよね。
    でも、頭から離れなくなる時があります。

    会社をやめるのはいけない事?より
    ・うつ病の人は環境を変えるようなことはしてはいけないんだって
    ・例えば引っ越しとか、離婚とか、会社をやめることもその1つらしい
    ・でも実際、会社をやめても治らなかったでしょ?



    ストレス元が仕事ならば、一旦その強烈なストレス元から遠ざかるのがいいと思うんですが、会社を辞めるという手段ではなくて、休職制度を利用して長期間休む方法を選ぶ方法もあるということです。
    一度自分の会社の休職制度を調べておく方がいいですね。

    「会社を辞めてはいけない」はどうしてかより
    僕の場合、会社をやめてしまったそのことに後悔はないし、それが最善の策だったということはのちのちにもはっきりしているのだが、一般的には「辞めちゃいかん」と言われるのは、実はそればうつ病独特の逃避心理から出ていることも多いからだ。「会社を辞めたい」と言って実行した人は、次に「離婚したい」「親子の縁を切りたい」などと言い出して、さらには「この場から逃げたい」と行動し、最後に自殺企図までエスカレートしてしまう。辞めたいのは会社ではなく、いま、ここの、自分が存在することのむずがゆい不快感なのだ、きっと



    自殺企図という言葉がでてきて、身が震えました。
    治りかけの時が一番危ないんだそうです。




    <あとで>


    ■「あ」:焦らない、焦らせない
    ■「と」:特別あつかいしない
    ■「で」:できること、できないことを見分けよう
    ■「あとで」:常に判断を保留する癖をつけるとあとで楽になる

    この本の中で一番いいなと思ったのが、この「あとで」です。
    これがうつ病だけじゃなくてすべての病気にとても役立つモットーだと書かれていますが、更にはうつ予備軍状態など気持ちが落ち込んでいるときも同じだと思います。

    何事も焦ってもプラスになることは少ないわけだし、自分が特別だとか自分が特別悪いんだとか考えすぎると極端な嗜好に陥ってしまいます。
    ついつい「ゼロか100か」的な思考になりやすいのが現代ですけど、最高とか最善とか合理的とか究極を目指し過ぎて知らないうちに自分らしく無くなっていくのはもったいないと最近特に思うんです。

    ブログでも適当な事ばかり書いている私ですが、まじめにエントリーを書くときでも、究極を目指すのではなくほどほどに書くようにしています。




    <細川 貂々さんのブログ>


    著者の細川 貂々さんはブログ「てん・にっき」も書かれていました。

    映画だけではなくて、ドラマ版「ツレがうつになりまして。」もあったんですね。を放送するようです。

    「とりあえず日記」が多くて、ほんととりあえずなんですが、時々挿絵もあってほっこり系ですね。




     
     
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    送料無料のアロマオイル ラベンダー・ローズマリー(エッセンシャルオイル)

     
    リラックスできるお風呂を楽しむために「アロマバス」を楽しめる、「アロマオイル(エッセンシャルオイル)」の通信販売で送料無料のものを集めています。

    アロマバスの楽しみ方は、「バスタブにエッセンシャルオイル(精油)を3~5滴程度落とす→よくかき混ぜて、エッセンシャルオイル(精油)をお湯の中に拡散させるだけです。
    この時、エッセンシャルオイルを入れすぎない事がポイントです。





    <ラベンダー>


    ラベンダーのアロマオイルの効果
    ・リラックス作用
    ・睡眠の改善
    ・殺菌作用




    ■生活の木:ラベンダー フランス産 内容量3ml
    ■グローバル プロダクト プランニング:ラベンダー 日本産 内容量8ml
    ■GAIA NP(ガイア・エヌピー) :ラベンダー フランス産 内容量:5ml
    ■サンハーブ:ラベンダー 日本産 内容量13ml
    ■アロマベラ:ラベンダー 日本産 内容量13ml
    ■pajoma:ラベンダー ドイツ産 内容量10ml
    ■ニールズヤードレメディーズ:イギリス 日本産 内容量5ml
    ■Huiles&Sens:ラベンダー フランス産 内容量:5ml


        

        

      







    <ローズマリー>


    ローズマリーのアロマオイルの効果
    ・殺菌作用
    ・眠気覚まし
    ・集中力アップ



    ■生活の木:ローズマリー 内容量3ml
    ■グローバル プロダクト プランニング:ローズマリー 日本産 内容量8ml
    ■GAIA NP(ガイア・エヌピー) :ローズマリー 内容量:5ml
    ■Huiles&Sens:ローズマリー フランス産 内容量5ml


          


      

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    ダイエットで脂肪肝が消えた(脂肪肝改善、腹部エコー、コレステロールも減少、メタボリックシンドロームからも脱出)

     
    私は定期的に人間ドックを受けています。
    今回、先生の最初の問診(身長体重測定後)で聞かれた質問が「ダイエットか体重を減らす何かをしましたか?」でした。
    私は「はい」と答えたのですけど、先生は意識的に減らしたのかどうかを聞きたかったんですね。
    仮に「いや特に」だったとすると、病気の疑いとなるのでしょう。

    私がダイエットをしているといっても以下の2つのエントリーに書いている事だけで、特にたいしたことはしていません。

    (関連するエントリー)バーモントリンゴ酢を飲む(リンゴ酢の効果)
    (関連するエントリー)体重体組成計・体重計(タニタ、オムロン、DRETEC)で毎日2回体重を測る~計るだけダイエットのエクセルシート

    しかも、ここ数カ月は体重の記録も、リンゴ酢を飲むのもサボり気味でした。
    ですので今年に入ってから体重は幅2kgの範囲で変動するものの横ばいという感じです。
    でも、増えないというところがポイントなんだと思います。




    <脂肪肝とは>


    脂肪肝とは、肝臓を構成している肝細胞に中性脂肪が5%を超えてたまった状態のことで、肝臓全体が白っぽくてフォアグラのような状態になっているといえそうです。
    脂肪肝は3人に1人がかかる病気と言われていて、生活習慣病のひとつとも言える病気となっています。
    ※健康な肝臓でも中性脂肪を3~5%くらい含んでいます。


    脂肪肝の診断に必要な検査としては、血液検査、腹部超音波検査(エコー)、CT(コンピューター断層撮影)、肝生検があるそうです。
    CTは昔撮った事がありますが、今回の人間ドックでは「血液検査」と「腹部超音波検査(エコー)」で判断してもらっています。

    血液検査での、肝機能に関する検査項目の中で、特に脂肪肝で異常値になるのは以下のとおりだそうです。
    ・GOT:肝臓の中にあるたんぱく質を分解する酵素で肝臓に障害が起こると上昇
    ・GPT:肝臓の中にあるたんぱく質を分解する酵素で肝臓に障害が起こると上昇
    ・γーGPT:肝臓の中にあるたんぱく質を分解する酵素の一つで、特にアルコールに対しては敏感に反応
    ・コリンエステラーゼ(Ch-E):コリンエステルをコリンと酢酸に分解する酵素で肝臓でしか作られなく、栄養過多による脂肪肝では上昇し、急性肝炎、慢性肝炎、肝硬変などは低下

    他にも、ALP、LHD、LAP、総ビリルビン、直接ビリルビン、コリンエステラーゼ、クンケル、総タンパク、アルブミン、γ-グロブリンなどを検査してもらいました。
    これらからはこれまでも肝機能の異常は見当たりませんでした。

    私が脂肪肝だった理由は中性脂肪とコレステロールでした。

    ・総コレステロール
    ・HDLコレステロール:いわゆる善玉コレステロール
    ・中性脂肪
    ・LDLコレステロール:いわゆる悪玉コレステロール

    これまでは、「総コレステロール」「中性脂肪」「LDLコレステロール」が基準値を超えていました。
    これらは血管にもダメージを与えていたんだと思います。

    また、脂肪肝は「腹部超音波検査(エコー)」で判断してもらえるようです。




    <ダイエットで脂肪肝が消えた>


    今回の人間ドックでは、脂肪肝が消えました。
    「腹部超音波検査(エコー)は今回原料のため脂肪肝は認めません」と書かれていました。
    「総コレステロール」「中性脂肪」「LDLコレステロール」についても、基準値内に収まっていました。
    すごい。やった。

    まさに「ダイエットで脂肪肝が消えた」といってもいいでしょう。
    BMI値が前回25.2から今回23.4になっただけで脂肪肝が消えたんです。
    BMI値23.4というのは、一応正常の範囲ではあるけど、まだ高めではあります。

    腹囲がまだ85cm以上ではありますが、血圧、中性脂肪、血糖が正常であるので、メタボリックシンドロームからも脱出することができました。

    ただ、「CAVI(キャビー)検査では、血管(動脈)の硬さは、40代後半~50代前半と散々な結果でした。
    過去の血管へのダメージは消えてはいないのでしょう。


    体重を減らす効果と言うのはすごいんだなと思いました。
    と同時に、今までの体へのダメージは計り知れないんだなとも思いました。

    今一度、気を入れなおして「計るだけダイエットとリンゴ酢」を続けて行こうと思います。
    みなさん、体重管理には気を使っていきましょうね。 
      
     


     
     
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    バーンズの認知のゆがみとは

     
    私はストレスを感じやすい方なんですが、みなさんはどうでしょうか?
    多分ストレスを感じにくいという人は少なくて、あまりストレスを感じる環境にないという人もいるのかもしれません。

    とかく40代はストレスがかかりやすいように思います。
    人生のいろんなことが成熟してくる時期であり、逆に何かが成熟してないと遅れているような感覚でストレスになったりと、なんて行ってしまうと結局なんでもストレスってことかな。




    <バーンズによる10種類の「認知のゆがみ」とは>


    「妻が意欲を失う時」そんな危機感をかつて感じた時がありました。
    今なら「意欲のない部下とどう向き合うか」なんて命題があったりします。

    自分自身を無価値化してしまう原因として有名なのが、「バーンズの認知のゆがみ」です。
    バーンズの認知のゆがみとは、デビッド・D・バーンズが、理論的研究や臨床的実践を通じて見出した10種類の「認知の歪み(推論の誤謬)」は、あらゆる物事に対する意欲や積極性を奪ってしまう「自動思考(無意識にしてしまう考え方)」を抽出したものです。
    いいかえると「自分で作りだしてしまった固定観念」という感じでしょうか。


    1. 全か無か思想 all-or-nothing thinking
    物事を極端に白黒つけたがり、オール・オア・ナッシング、○×思考で考えることです。


    私はこの「ゼロか百かの思考」に否定的です。
    議論は嫌いではないですが、全否定か全肯定かしか選択肢がない議論は不毛だと感じます。
    中途半端であっても、自分なりのバランスが大事だと思うようにしています。
    要するに、「まあ、いいか」です。

    それにしても意外だったのが、白黒つけたほうが悩まずに住むのでストレスがたまらないと思ってましたが、これが認知のゆがみの1番目なんですね。ビックリ。
    ある程度人生経験を積んでくると、世の中でずばりこれが正解なんてことは少ないってことが分かってくるので、曖昧さを受け入れられる器が必要になってくると思います。


    2. 一般化のしすぎ overgeneralization
    何か悪いことが起こったときに、それがまた起こるに違いない、それが起こるのは自分の運命なんだ、というように一般化して捉えてしまうことです。


    なんか無限ループの中にはまってしまっている感じですね。
    よく考えれば根拠がないのにね。


    3. 心のフィルター mental filter
    考えることがネガティブなことばかりで、「マイナス」のフィルターを通して物事を見ていることです。


    頭の中がネガティブなコトばかりで染まってしまい、良い部分をまるで意識できなくなってしまう状態です。
    常にこういう感じの20年来の友人がいます。
    「そうではないよ」と否定して欲しいとか、「どれだけ理不尽か」を理解して欲しいとか、「(自分はそれを望んでいるのに)どうせ無理だ」を繰り返すとか、そんな感じです。
    気の毒な思考回路だなと思う反面、長く付き合わされるとこちらが疲れてきてしまいます。


    4. マイナス化思考 disqualifying the positive
    良いことや何でもないことを、悪いことにすり替えてしまうことです。


    私はできるだけポジティブなことをブログで書くようにしています。
    ネガティブな時は、たまにブログに吐き出して乗り切るようにしています。
    だれかに理解して欲しい現れなんだけど、あれれ、上の友人と同じだ…。


    5. 結論の飛躍 jumping to conclusions
    事実とは違うのに、悲観的な結論に飛躍してしまうことです。これには、次の2種類があるとバーンズは述べています。
    A 心の読みすぎ mind reading
    人の態度や言葉を、悪い方に深読みしてしまうことです。
    B 先読みの誤り the fortune teller error
    これから起こることが不幸なことばかりだと信じ込んでしまうことです。


    私達は人間ですから、相手の心が気になったり、相手が自分のことをどう思っているのか気になるし、将来が不安だったります。
    人の断片的な行動や発言で、その人がどう思っているかを決めつけてしまう傾向は私にもあります。
    ですので、相手の良い面と悪い面を両方評価するように意識しています。

    特に、子どもや部下を持つようになるとここはすごく大事になります。
    人を理解するのはとても大変なことです。
    立体的に捉えるように意識するトレーニングしていかないと、相手も自分の不幸になります。


    6.拡大解釈と過小評価 magnification and minimization
    悪い面ばかり大きく捉え、良い面をあまり評価しないことです。


    私自身の自分への評価については、これが当てはまってしまいます。
    自分の失敗や悪いところを必要以上に大きく感じますし、自分の成功や良いところはあまり評価で来ていません。
    他人が失敗しても割と寛容なのに、自分が失敗するとプチ許せないもしくは落ち込むタイプです。
    まずいですね。


    7.感情的決めつけ emotional reasoning
    自分が感じていることが、真実であるように考えてしまうことです。


    感情を根拠にモノゴトを決め付けてしまう思考パターンということなんだそうです。
    私は普段は感情の薄い人間なので、このことはあまりよく理解できません。


    8.すべき思考 should statements
    「~しなければならない」「~べきである」と考えて、自分を追い込んでしまうことです。


    私は、自分自身を縛り付けてた時期がありました。
    それで思いどおりにいかなくてストレスを貯めてました。
    30代の後半くらいからは、「なるようになる的」な思考ができるようになってきました。

    「親らしく」「上司らしく」みたいな訳がわからない縛りではなく、「親としてこれをやってみよう」とか「上司だからこれでいこう」みたいに、自分がどうするのかに置き換えるようにしています。
    決して、一般的な生き方ではない道を歩むことになりますけど、一応変人ではないつもりです。

    これ、よく考えると自分に向いている分にはまだましですね。
    他人に対して「親なのだから」「上司なのだから」と思い始めると大変ですが、そういう風に思う事もあるのでどうしたものかな。
    「べき論」に縛られないようにしたいけど、この呪縛はキツイかもしれませんね。


    9.レッテル貼り labeling and mislabeling
    根拠もないのに、自分にネガティブなレッテルを貼ってしまうことです。


    自分を『負け犬』とは言わないようにしよう。失敗しても私は私なのだから。
    関西人なら「自虐ネタ」にしてしまおう。


    10.個人化 personalization
    良くない出来事が起こったときに、何でも自分のせいにしてしまうことです。




    これらのことを「認知のゆがみ」と言うんですね。
    どれも大なり小なり当てはまります。
    というより当てはまらない人はいないでしょうね。

    4年前に書いたエントリーを、ほぼ全面的に修正しました。
    私もいろいろ変化したようです。

    「自分を守るために、できるだけゆるく考えるようにしている」という意識は、以前より強まっています。
    こういう曖昧さでも大丈夫でいることが、生きるスキルの1つだと思うんです。
    論理的思考の強い方とお話しするときに感じる違和感は、このバーンズの認知のゆがみの中の特に「all-or-nothing thinking」を感じる時に感じます。

    口では負けます。
    なぜなら私は勝つ必要がないからです。
    多少の曖昧さ、中途半端でも自分の足場だと思える思考回路は、特殊なものなのかもしれません。

    不安もあります。だからいつも「なるようになる」と心で唱えています。
    そうはいっても、なかなか難しいんですが。

    どれだけ突き詰めたって完璧にはならないし、そもそも唯一の正解なんてそうそうありません。
    正解を目指す努力は大切です。
    でもあまり無理をしないことです。
    結局、つぶれてもだれも助けてくれないしね。


    それにしても、気付かないところでストレスって溜まっていくものなんでしょうね。
    この10種類の認知のゆがみというのは、自分自身を見つめなおすための道具に使えます。
    今回は、4年前と現在の差を見つめる事が出来ました。

    自分自身の思考の偏りを知るために使えばいいんです。
    の道具です。
    認知の歪みをこうして書き出していると、その時だけでも考えることになります。
    すると少しだけ整理できた気になります。
    気休めかもしれませんが、確認にはなります。それでいいんだと思います。





    このエントリーは、2008年10月14日にUPしたものを修正しています。

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    ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)

     
    ミッドライフクライシス(人生半ばの危機)について 」私なりに考えてみましたが、似たような言葉で「ミッドエイジ・クライシス(中年の危機)」という言葉があります。
    私も現在、中年まっただ中ですから、他人ごとではありません。



    <ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)とは>


    「ミッドライフ・クライシス(人生半ばの危機)」が、中年にさしかかる頃に精神的にも肉体的にも衰えを感じる中で、若くありたいという願望など現実と理想の落差を強く感じ、精神的に戸惑い混乱する危機のことというニュアンスに対し、「ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)」は、中年になると様々なストレス等により心の負担が増えて精神的に追い詰められる人が増えてくるという危機というニュアンスのようです。

    両者の定義が、具体的にどこが違うのか私にはわかりませんけど、前者が若さとのギャップで、後者が心配事と責任の増加による危機という風に理解していきたいと思います。

    40代のミドルエイジに入って、仕事上では部下がたくさん出来ました。
    今は両手で数えられますけど、次の段階では両足を加えても数えられないかもしれません。
    指示はもちろん責任を伴いますし、発する言葉が与える影響も以前とは違ってきます。

    責任から逃げようとすればするほど何倍にもなって帰ってきますから、基本は立ち向かう方がいろんな意味で楽だと思えます。
    家庭でもこれから受験ですし、思春期で親子の距離感もどうなるかわかりません。
    親の老いも気になります。
    子どもの進学や就職の先として、老後への人生設計なども考えて始める時期になります。

    中年に差し掛かる時期は、抱える問題が一気に増え始める時期と言えそうです。

    「ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)」は、こうして抱え始める様々な問題に今までの考え方や感覚では処理しきれないことが一番の危機ではないかと、個人的に感じています。
    そして、バランス感覚が身についていないと(身につけていかないと)、心の逃げ場がどんどん失われていくようにも思います。

    仕事や地域での社会的責任にせよ、家庭や子どもの様々な課題にせよ、親と自分たちの老後にせよ、あらかじめそれなりに想定できること(覚悟を準備できること)ではありますけど、想像と実際のギャップに相当戸惑うのも事実です。
    ギャップが埋まらないのは、覚悟の問題も大きいし、これまでの準備のレベルも大きいと思います。
    最も大切なのは、いろんなことのバランスを取っていく力を身につけることだと思います。
    考え方の固執に苦しむケース(発想の転換が出来ない)もあることを思えば、考え方の柔軟性や新たな考え方を取り入れ変化を容認することも重要です。

    なんてえらそうなことを書いてしまいました。
    「いいかげんでおおざっぱな奴が偉そうな!」と思われた方も多いと思います。
    私ができているというわけではなく、そういうことが重要なのかなと感じているということです。


    私はスペシャリストよりゼネラリスト派という感じで、もともと「興味が移り気(=いいかげん)」なところがありますので割と変化には寛容です。
    このブログを読んでくれている人はそうかもと思ってもらえると期待したいのですけど、私はくだくだ考えることが好きです。
    「移り気だけどいろいろ考えるのが好き」というのは、バランスを重視して1つにとことんこだわらない性格であり、表も裏も見るような思考回路も少し発達しているのかなと思っています。
    言わば、大きな引き出しはないけど、小さな引き出しをたくさんもっているという感じでしょうか。
    こう書くと、薄っぺらい人間だということかもしれません…。





    <ミドルエイジの危機を乗り切る(2008年版)>


    2008年12月に「ミドルエイジの危機を乗り切る!(All About 大美賀 直子)」という記事を読みました。
    ※以下、当時のエントリーです。

    ■ミドルエイジの初期は、“人生をリストラクチャリング(再構築)する”の時期。それが、ミドルエイジの入り口でまず着手しなければならない課題なのです。
    ■人生の折り返し地点で将来設計を考えることは、“本当の自分”とじっくり向かいあう絶好のチャンスです。



    ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)については、私もそういう年齢になりつつあるので勉強を始めています。
    勉強していくと、若い頃には考えられないような老いと向き合う心の準備が大事じゃないかなと感じます。

    まず、自分が中年であるということが認められないということろから始まるんだろうと思います。
    早い人は30歳台で経験し始めるようですので、何歳からってなことではないはずです。
    私も既に思い当たる節があります。

    長期投資を考えてみても、若いうちは20年30年の長期投資ってはるか先で時間軸なんて考えなくてもよさげですが、40歳、45歳になると実はカウントダウンが始まっているとも考えられます。
    だから35歳の投資感覚と40歳や45歳ではそんなに年齢差はないと思うけれども、感覚に開きが生じ始めてもおかしくない思うんです。

    40歳からカウントダウンと書くと、「まだまだ!」と思いたいわけですが、年とともに理想と現実の乖離を認めざるを得なくなるし、老いによってそれが加速していくのではないでしょうか?

    「老いを受け入れる」のは恐ろしい話に聞こえるんですが、認めてしまえばそれなりに楽しさを見つけられるけれども、認められなければ心の闇に捕らわれるような感じなのでしょうか?

    以上が、うさみみのイメージするミドルエイジ・クライシス(中年の危機)です。実際はどうなのでしょうか?

    人生設計を勉強し実践している立場から見ると、大美賀さんが上記で挙げていることは、非常に大事だと思います。
    「再構築」するのは、過去の行動の間違いを認めることも含まれるので実につらいのですが、その作業が自分を見つめなおすことにつながるわけです。
    これから、年を取るごとに、事あるごとにそういった作業が必要になるだろうと思うのです。
    ますます、5年先、10年先のイメージをより具体的に持つことが大切になってくると思います。

    今まで貯金をしてこなかった人は、さすがにしないわけには行かなくなります。
    今まで健康に気遣ってこなかった人は、うさみみのように突然入院するかもしれません。
    資産形成の目標をたてていても、なんとなく届かないことに気がつくかもしれません。
    仕事の栄達も届く範囲が見えたり、後輩にあっさり抜き去られたりするかもしれません。

    時間が限られるほどに、現実が押し迫ってくるのでしょう。
    その度に、心は揺れ、葛藤が生じ、自分自身の価値に疑義をいだくこともあるでしょう。
    だからこそ「再構築できる力」が中年時代を生きる力じゃなかと思い始めています。





    <中年の入り口にて(2012年版)>


    上記の「ミドルエイジの危機を乗り切る(2008年版)」は、3年前の私の感覚ですけど、分かった風に偉そうなことを書いていますね。
    実際、40代に入っての感想を言えば、変化が大きいなと感じています。

    先輩方の中では原因不明の症状に悩まされている方も結構多いです。
    これって逆に言えば、そういう悩みを打ち明けてもらえるような状況に私も入ってきた事を意味しているんですね。
    解決しにくい課題が並行してたくさん並んでくるのが、中年なのかなと思います。

    私の場合、お金の問題に関しては、ここには並んでこない分楽なのかもしれません。
    (その分若い時にそれなりの犠牲を払っているとも言えます。)
    私が若い人たちにアドバイスができることがあるとすれば、お金の備えは早めにして時間を味方につけて欲しいということです。

    「中年になると解決しにくい課題が並行してたくさん並んでくる」と考えていただくとして、お金の問題は規模と習慣の問題なので、若いうちからの行動や考え方が重要です。
    中年になってから節約というかお金の習慣を変えるなんてなかなかできることではないし、変えざるを得ないから変えるとなると心の負担が半端でないと思います。

    社会人としての責任ある立場や子どもの受験や就職などは、そういう年齢にならないと分からないし、準備も難しいというか、やってみないと分からない世界だと思います。

    お金の課題だけでも、少しでもクリアしておくことが、「ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)」の一番の備えかもしれません。
    あとは、いろんな本やブログなどから「いろんな考え方にふれておくこと」が2番目の備えかなと思います。
     






    (関連するエントリー)ミッドライフクライシス(人生半ばの危機)について

    このエントリーは、2008年12月7日にUPしたものを修正しています。

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