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  • みみ姫の将来の夢  小学校の卒業文集より

     
    小学生の卒業文集に書いた娘の想い。
    高校生になった君はどういう想いになっているのかな。
      

    【2010年6月24日のエントリー】
    小学校の卒業文集が届きました。
    それぞれのこどもの想いがつづられています。

    「小学校の思い出」を書く子ども、「将来の夢」を書く子ども、どちらが多かったと思いますか?

    前者の方が多かったんです。
    「体育大会、組み体操」、「連合運動会」、「音楽界」、「自然学校」、「修学旅行」が思い出に残ったようです。
    また、「友達、仲間」のことを書いていました。
    すばらしい友達との出会いを書いたものが多い中で、友達と上手く付き合えなかった子もいました。

    「将来の夢」を書いていた人は、ほんの少しでした。
    その中の1人が、みみ姫です。







    <中学時代のみみ姫の将来の夢>


    さすがに、娘の将来の夢をここで公開する訳にはいきませんので、私が感じた事を書いてみます。

    読んでいて感じたのは、「将来の夢」、「なりたい自分」をしっかりもっていたことです。
    きっかけ、動機、自らの思いをちゃんと分かるように書いていました。
    思えば、みみ姫の将来へ夢をはっきりと見聞きしたのは、これがはじめてです。

    きっかけはツレに関することで、動機が私に関する事です。
    そう思うと胸がジーンときます。

    私が子どもの時に比べてみて、娘の方が将来の事を早くから考えていることを嬉しく思いました。
    中学はその夢が本物かどうか確認する時期かもしれませんね。
    いろんな経験を積んでいく中で、その夢が本物であるならば、3年生からはその夢へのスタートを促す必要があるかもしれません。
    それほど、具体的になりたい自分を書いているので、歩むべき道ははっきりしていますから。

    また違う夢を見るのであればそれはそれでよいと思います。
    いずれにせよ、私が高校くらいで思った事を小学生のうちに見ているのはすごいことです。
    卒業文集を見て思うのは、男の子は空想っぽい夢であり、女の子は現実っぽい夢な印象でした。
    私自身のことをおもっても男の子はゆっくりです。それはそれでよいと思います。
    これから、なにか大きなきっかけが起こっていくものです。

    何かがきっかけで歩みたい道を選んでいくわけですが、それだけでは不十分で「自分を見つめる」、「自分と向き合う」ことが合わさってくることが大切だと思います。
    これからの、みみ姫を見守りつつ、いつでもサポートできるように、いろいろ学んでいかないといけないと強く思いました。




    <高校時代のみみ姫の将来の夢>


    小学生の卒業文集から約5年の月日が流れて既に高校生になりました。
    高校受験もその頃の思いを胸にしっかりの乗り切って第一志望校に入学してくれました。
    次のステップに向けて実直に進んでいるのを見ていると、もう少しゆっくりしたらいいのにとさえ思います。

    ある程度の娘の夢に近づく進学を支援できるくらいの資産形成は既にできています。
    他に親として何はできるのでしょうか。
    娘と一緒にいられる残された時間が僅かだなというさみしさがあります。
     





    このエントリーは、2010年6月24日にUPしたものを修正しています。


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  • テーマ : 最愛の娘
    ジャンル : 結婚・家庭生活

    なにが子どもの転機になるのか 自分なりの人生を生きる

         
    「なにが子どもの転機になるのか―自分なりの人生を生きる子どもたち  著者:清水 弘司」を読みました。

    特に「転機」という言葉にひかれました。
    多くの子育て本が、どうすべきかに焦点を絞っているのに対し、この本は1000人余りの大学生が「これまでに出会った転機」について書いたレポートが中心になっているんです。
    自分自身の転機を思いだせないアラフォーな自分には数々のドラマの様に思えました。


    ■よきメンターとの出会い

    転機のきっかけになるのが、「よきメンターとの出会い」であることが多いようです。
    これは、大人になっても全く同じです。
    子どもにとっては、友達であったり、先輩であったり、先生であったり、そのへんのおばちゃんであったりします。

    自分でメンターを探すというのではなく、たまたま出会う、偶然で出会うということです。
    自分探しをしている時期だから、自分でメンターを探そうと思っても、だれがメンターになりえる分かるはずはありません。
    「偶然」は必然ってことはではありませんが、自分に足りない部分を持った人に「驚き」を感じるということであれば、必然といえなくもない気もします。

    それと、「いい面をほめてくれる人との出会い」が転機になることも多いようです。
    「自分は何者なのか」自分を見つめる中で、うまくいかないことの方が多いわけで、それは自分に自信を持てないからということ。
    「自己否定」という悪循環に陥った時、自分のいいところを見てくれている人がいることが大きいです。


    ■行事などがきっかけ

    演劇の役や○○委員、クラブ活動を通じて、転機がおとづれた人もいます。
    娘の中学生の入学式での校長先生の話で、「中学には皆さんが活躍するたくさんの場がある」という風におっしゃっていました。
    自分が活躍する場というのは、本当に大切なんだと思います。


    ■家族の所が帰って来る場所であること

    親としてできること一番大切なのは、ここですね。
    親が、子どもの最大の理解者であるということです。
    これは親にとっても大きな試練ですね。

    子どもが思い通りになっていようといまいと、子どもがどんな苦境におちいろうと受けとめる。
    言葉では簡単ですが、その場でその瞬間にできるのかどうか。
    「なにがあってもこどもの味方であること」この1点ではないかと思います。


    ■比較される事を恐れ、自分は周りと比較してしまう

    比較に苦しみ、そして比較で発見します。
    「自分が何者なのか」を自分で問いかける時に、人との違いに着目するのは自然だろうと思います。
    「自分が何者なのか」というのは、非常に難しい問いかけで、答えに苦しむのです。

    きっと、「自分の個性を知ること」そして「その個性を好きになり、自分を好きになる事」なのかなと思います。
    自分が嫌で嫌でたまらない時期は必ずありますよね。
    それが無いのなら、親が障害を知らないうちに除去してきたということではないでしょうか。
    それは、親の手が届かなくなった時に、試練が待ち構えることになる。先延ばしにすぎないのかもしれません。

    「自分が何者なのか」に悩むのは自然です。
    自分と向き合い、自問自答するのはつらいことでもあります。
    でも、思春期にここを通ることが大切なんだと思んです。
    時代が変わっても、きっとここは変わっていないでしょう。

    親が助ける事ではなく、子どもが自分で探すことだと思います。
    親は、基本的に「見守る」しかありません。
    親は、「素直に接する」ということなのかもしれませんね。


    思春期に入った中学生は、子どもの世界から足を一歩踏み出す。そして、おとなとしての自分をつくる準備をする。
    (中略)
    おとなになるためには、親から分離しなければならないが、それまでに親子が肌で触れ合うような一体感を充分に体験しておくことが必要である。親が子どもをコントロールする事ばかりに心を奪われ、肌で触れ合うような泥臭い関係が不充分であると、子どもは安心して外の世界に出ていかれない。
    (中略)
    これまで依存してきた人たちから離れ、独立した自分をつくっていくことが不安なことに変わりはない。それを支え自分を承認してくれる存在が必要であるが、多くの場合に自分と同じような悩みと不安をもつ友人がその役割を果たす。


    思春期の子どもには、親でないほかの誰かが大きくかかわってきます。
    この大切な時期を、親はじゃましてはいけないんだと思いました。

    親として、幼少期の子育ては、「自分がちゃんと子育てできているのか」不安で不安で仕方がなかった時期でした。
    それに、特に母親ですが、「自分は何のために生きてきたのか」「子育てのためなのか」「自分がもっと活躍できる場所は他にあるのでは」とか、いろんな悩みを持つ時期でした。

    そんな時期を乗り越えて、ようやく中学生・高校生にまで育て上げたのに、思春期で親から距離を取り始める子どもたち。
    子どもが「自立」の道をあちこち頭をぶつけながら歩むように、親もまた「子離れという自立」の道をあちこち頭をぶつけながら歩んでいくということではないのか。
    そんな風に思いました。


    本人にもわけのわからないイライラは、それまで自分を守ってくれた親や学校などが、自分を拘束するもののように思えるからである。
    (中略)
    自分の人生を生きるためには、能動性を身につけなければならない。親のいう通りにしたり、先生の指示をまってばかりいたのでは、自分なりの道をみつけることができない。能動性を育てるために、好きなことをやるのが大切なことである。
    (中略)
    好きなことは人それぞれであるが、親から押しつけられたり、人から言われたりするのではなく、自分の内側からわいてくるものである。そうした自分の好きなことをすることは、心を生き生きさせ、自分の道をみつける力になる。


    娘の中学生の入学式で娘がこれから「大人の階段をのぼる」んだと感じました。
    これは以前からそう思ってはいたものの、入学式が1つの「引導」のように思えたんです。
    入学式の時の、「娘の笑顔はきっと忘れない」と思います。

    以前、「父親が入学式に行くのが一般的になってるの?」という質問を受けたことがあります。
    答えは、圧倒的に母親が多かったが、父親もいました。
    でも、一般的にどうかとか、他人がどうかなんて、正直どうでもよいことだと思うんです。

    「娘がどんな学校に入学するのか見ておきたい」ということであり、節目を大切に思うだけのこと。
    「娘の自立への旅立ち」を見送ることが、親としての「自立」への覚悟につながっていくのだと。

    ところで、この本は、高校生、受験浪人、大学生、と続いていきます。
    読むには読んだが、一度にそんなにたくさん考える事が出来ないので、いつかまた読みたいと思います。
    最終章に、「転機とはなにか」が書かれています。

    ■なにが転機になるかわからない。


    裏を返せば、どんなことが起ころうとも、自分には関係ないと無視してしまったことは、人を変えることはないということかもしれません。
      
       
      



      
    このエントリーは、2010年4月26日にUPしたものを修正しています。
      
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  • テーマ : **暮らしを楽しむ**
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    子どものゲーム時間制限の影響(小学生、中学生)

     
    子どものゲーム時間に悩む親は多いと思います。
    男の子と女の子、性格、友人関係そして親がゲーム好きかどうかなどいろんな要素があろうかと思いますが、子どもに制限なくゲームをやらせることには不安がありますし、不安があるからゲームを取り上げるのはどうか悩ましいところです。

    高校生にもなればいちいち親が口出しすることでもないし、それまでに子どもがゲームとの付き合い方を身につけてなければ、いまさら修正などできないと思いますが、小学生や中学生の間は親の意識がまだ影響してきます。

    我が家の子どもとゲーム時間制限について、2007年1月13日にエントリーを書いていました。
    今から6年前ですから、みみ姫が小学校4年生、うさ姫が小学校2年生のことです。

    【2007年1月13日 理不尽な決まりでも~子どものゲーム時間】

    理不尽というわけではないのですけど、子供というのは不思議ですね。
    今日は、DSのポケモンダイヤモンドパールをやっていました。
    娘のゲームの手伝いだけど、ヒンバス(ミロカロスに進化する)Getに1時間半をかけ、スコルピにも1時間というゲーム三昧でした。
    娘のゲーム時間は1日1時間に決めているんですが、親がそれ以上にやっています。
    理不尽な決まりのような気がするのだけど、今は文句を言いませんね。
    もちろん、ゲームを手伝わせてって気持ちもあるのでしょうけどね。

    娘はゲームの時間制限1日1時間を律儀に守っています。
    (友達と遊ぶ時は、制限を外してます。)

    「ゲーム時間1時間」に納得している理由はなんだろ。
    ・親が怖い?
      ないとはいえないが、そんなことで子ども言うことを聞くわけがない
    ・他の遊びに誘導させている?
      小さい時から、工作遊びなどをいっしょにやってきました。
      親が本を読むのを見てて、子どももたまに本を読んだりもしてる。
    ・目が悪くなっても知らんで!
      多分、これが一番効いていると思う。

    なんにせよ、親が守ってないルールを、子どもが守ってるのは不思議でしかない。
    (そういうなら、お前が守れよとつっこまれますね…)
    女の子はもともと、ゲームは好きではないというのが正解なのかもと感じます。



    親としては、ゲームにはまりすぎることも心配ですが、視力への影響も心配ですね。
    うちの娘たちは、結局それほどゲームにのめりこむことはありませんでしたが、視力は悪くなりました。
    これは遺伝もあると思うので、ゲームの影響があったのかどうかはわかりません。
    影響があるとすれば、パソコンでしょう。

    ゲームでもパソコンでも、そして携帯電話もそうですが、同じような動作をずっとやっていると視力にいい影響はなさそうですね。
    親がパソコンにかじりついているのに、どうして子どもに時間を守らせることができるのでしょうか。

    ゲームも最初は親が子どもに買い与える条件で、1日1時間など時間を限定する約束をします。
    でもしばらくすると子どもはゲームから離れないようになる子どももいます。
    親としては、子どもがずっとゲームばかりして困っているということになりますが、ゲームは確かに面白いし、時間が来たからって途中でやめるのは難しいんです。

    今はうさ姫がパソコンで動画をずっと見ているのですが、私だって見始めれば続きが気になってついついです。
    問題なのはやるべきことをやらずにずるずる見ていることです。
    長い時間どうがをみていることがダメだとしかってもまず効き目はありません。
    親だって聖者ではありませんからいろんなことでダラダラしているのを子どもが見ているわけですから、子どもにだけ理不尽に守らせるのは無理だと思います。
    親の力で抑えつけても子どものためにはならないようにも思いますし、子どもが成長すれば親の言うことなんて聞かなくなります。

    子どものゲーム時間制限の問題は、子どもが大きくなればパソコンの時間制限、携帯電話の制限といつまでも続いていきます。
    親が守ってもないことを子どもに押しつけてもいずれ破たんしますし、そもそも制限時間の根拠があいまいなのでそれを守らせることに意味があるのかとも思います。

    「結局は躾(しつけ)の問題でしょ。」ということになりそうです。

    子どもはいずれ親の言うことを聞かなくなりますし、いずれ親が子どもの行動の全てを把握することができなくなっていきます。
    きつく締めつけるだけでは、親が子どもの行動を把握しにくくなる段階で、子どもは自分の行動を親に言わなくなります。
    ガミガミ言われれまで言わないですよね。

    我が家も悩ましい時期がありました。
    中学生になると、どこに行くのか言わないことも増えてきます。
    今は、聞けば行先を言ってくれることが多いですが、時々ケンカになることがあります。
    親がしつこいとそうなります。

    親の管理が楽だから、子どもを縛り付けるとどこかで反発が来るものなんですね。
    今はそれほど強い反発はありませんが、いずれ険悪になるかもしれません。
    かといって一切干渉しないのもよくないですし、バランスなんでしょうね。




    このエントリーは、2007年1月13日にUPしたものを修正・追記しています。
      
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    ちゃんと「自分でできる子」に―「生きる力」をはぐくむために

          
    ちゃんと「自分でできる子」に―「生きる力」をはぐくむために(著者:田中 喜美子)を読みました。

    ■「生きる力」をはぐくむために

    社会に出て、結婚して、親になって……
    「生きる力」の重要性が身にしみています。
    「生きる力」とは何かを考えた時に、「自分で考えて行動できる人」だと思います。

    読んでいると、私たちが子育てで経験して来たことや、子育ての考え方がちょっと似ていたなと思いました。
    自分なりに考えて行きたい部分をピックアップしておきたいと思います。




    <よい子が危ない>


    >トラブルを抱えて相談に来るのはいわゆるよい子ばかりです。
    「自分は何者か?」「自分はどうしたらいいのか?」が分からずに悩んでいる若者が大勢います。
    彼らのほとんどに共通しているのが、幼い時に「よい子」であったことです。
    「よい子」とは周囲の意見や雰囲気を敏感に感じ取り、協調し、自分を出さずに生きている子どもたちです。
    この子どもたちは、自分を抑制することを学び、自分の本当の望みを感じない「いい子」を演じてきたのです。
    それを「よい」と価値判断した大人の責任がまず問われるべき
    なぜならば「よい子」は大人の期待によって発生し、大人との関係に適応するために子どもを選択するしかなかったという状況が背景にあるからです。
    親との間に信頼感や安心感が築けなかった子どもは、親の期待に応えるしかなかった自分は見捨てられるのでないかという不安にかられます。


    この部分は多くの人が、言葉としてすごく理解しやすい部分だと思います。
    子育てしている親が読んだ場合、ものすごく「耳が痛い」部分だと思います。
    と同時に、「じゃあどうしたらいいんだ。分からない」と思う部分でもあります。

    親になって「親として自分で考える力」を問われているのが、子育てなんだと思います。
    子育ては、心と心のぶつかり合いで実に生々しい部分があります。
    だからこうすればいいとかって単純な話ではありません。
    どのように子どもを育てて行くのかを、親として考えて行かなければなりません。

    >それを「よい」と価値判断した大人の責任がまず問われるべき

    何がよいのかを誰も教えてくれるわけではありません。
    親の苦悩がここにあります。
    でも苦悩するべきです。親が子どもに与える影響は絶大なのですから。




    <子どものため?親のため?>


    おそらくどの家庭でも初めは子どものためにと受験を決意したにちがいありません。
    しかし、受験日が近づくにつれ、合格することだけが最終目的になってしまう。
    子どもの合否イコール自分の存在意義に転化してしまう傾向も強く、合格するためならどんなことにもすがりたい気持ちが、母親の平常心を失わせてしまうのが「お受験」世界の特異性です。


    親が自分ができなかったことを子どもに託すことがあるようです。
    我が家の娘も高校受験に挑戦しましたが、ここの話は子供が小さい頃のお受験のことです。
    子どもが小さい頃のお受験は親の力が大きく影響するんだと思いますが、そうなると親がのめりこむということなんでしょう。




    <ちゃんとできる子に>


    「ちゃんとできる子」にするためには、子どもに自分のことは自分でさせて、親は根気よく待ってやることが大切なんですが、もうひとつ効果的な方法があります。
    「ちゃんとできる子」にする最良な方法とは、子どもに家族の一員としての認識を持たせて家事を担わせることです。
    しかし、どうしても親が子どものすることを黙って見ていられず、手出し、口出しをしてしまうからです。
    親たるものに要求されるのは、子どもの将来まで見据える長い見通しを持つ事です。
    この視点に立つことが出来るのならば、子どもの為にならない手出し、口出し、親からの一方的なガミガミは減らしていくことができると思います。


    親であれば、「ちゃんとできる子」になってほしいから、ついついガミガミ言ってしまいます。
    子どもが小さいうちは、基本的なしつけとしてそれもありかもしれませんが、度が過ぎると親の顔色をうかがう子どもになってしまいます。
    これは、子育てを経験した実感です。
    少しづつ口出しを減らしてこれているとは思いますが、やはり顔色をうかがわれてるなという瞬間がたまにあります。

    親にはガマンが必要だと言う事を、実感しています。
    でも、「自分で考えて行動できる」そういう人間になって欲しいと考え始めた時から、「見守る」という意識を持てるようになりました。
    少しづつですが、親として成長していきたいと思います。





    <与えすぎない>


    クリスマスとお正月を両方行なう日本の習慣は過剰なおもちゃやお金を与えてしまうことになりはしないか、その結果子どもの生きる力を失わせてはしまいか、子育てをしている親たちは今真剣に考える時がきているのではないでしょうか。
    お金を出して買い与えるのは簡単なこと


    この部分は共感しています。
    我が家では、娘たちがもらったお年玉は、すべて娘たちに渡し管理させていました。
    クリスマスプレゼントはあげていません。ケーキは買いますけど。
    子どもの日や桃の節句にもプレゼントがある家庭もあるようですが、我が家では誕生日のみです。

    理不尽だったかもしれません。
    小さい頃は娘たちに「他の子は…」と言われた事があります。
    世の中の常識とはかけ離れているのは分かっています。
    だからこそ、誕生日が特別であるということです。

    いろいろ特別な事がたくさんあると、特別なことつまりメリハリがなくなってしまいます。
    日本人はなんでもかんでも横並びです。
    それに、世の中には理不尽な事がたくさんあります。
    その中で反発するもよし、その中でできることを工夫するもよし、親を論破し成果を勝ち得るもよしです。

    反対に、こどもに大金を扱わせてはいけないと、お年玉を親が管理する家庭もあります。
    それも一理ありです。
    我が家の場合は、子どもが欲しい物は自分で考えて買いなさいと言ってきました。
    だから、おこずかいの他に、仕事を手伝ったらアルバイト代を渡したりします。
    半日お手伝いしたら500円~1,000円という感じです。

    この試みはそれなりに成果をあげました。
    まず、おねだりされることは全くなくなりました。
    小学生低学年の時では、ゲームソフトを安くなるまで買うのを待ったりしているのを見ると、「もう買えばいいやん」と思ってたりもしましていました。
    そんな風に待っている間に、別にほしいものではなかったからいつのまには立ち消えになっていて、「あれあの話は?」なんてことはザラにあります。
    衝動買いを防ぐヒントがここにあります。

    誕生日にプレゼントを買ってもらうという約束は、「権利としてキープできるか」と懇願されたのでできるようにしました。
    子どものいい分に論破されたんです。
    誕生日のプレゼントが数年分貯まってたりします。
    プレゼントを買ってもらえる権利を何故つかわずに置いているのか。
    ここは、この試みの結果生まれた、「肝」なのかもしれません。
    子どもであっても本当に欲しい物は限られているんじゃないかなと思いました。

    反対に、「無駄遣いかな?」と思う買い物も過去にはありました。
    でも、口出しする権利はありません。
    それを口出しすると、学ぶべき時に学べなくなります。
    それでは、学ぶのは大人になってからになってしまいます。

    中高生になると、友達付き合いの中でお金を使うようになります。
    お金の使い方を学ぶ総仕上げ時期ですし、そもそも口出しする権利はないですね。

    小学生の間にお年玉やお小遣いなどを貯めて、こどもの貯金額は数十万円になっていました。
    これだけの大金を扱えるのか見守りましたが、特に問題はありませんでした。
    「子どもに大金を与えるのはどうか」という考えも一理ある一方で、小学生でも十分に「お金の管理ができるようになる年齢なのにさせない弊害」もあるようにも思います。
    いずれを選ぶのもその子の親の子育て方針次第ですが、いずれにせよ見守る必要がありますね。





    <読書好きな子はつくられる>


    本を読む習慣がついている子は知らず知らずのうちに活字を通じて知識を吸収する「自発性」が養われます。


    私は子ども時代、本が嫌いでした。
    でも、投資を始めてからかなり本を読むようになり、子どもも本を読むようになりました。
    怖いくらいの鏡うつしです。

    本から大事な事を書きだす作業をよくやります。
    子どももノートにまとめるようになりました。
    怖いくらいコピーされます。
    本を読む習慣を子どもにつけさせたい親は、自分が楽しく読むのはありかも知れません。

    ■「大人でも勉強する」ということが、子どもに与える影響は非常に大きいのではないか




    <すべてはバランス>


    愛情も、しつけも、学びも、すべての子どもには必要。
    でも、そのどれも与えすぎてはだめ、与えなさすぎてもだめ、ほどほどのバランスが必要なのです。


    ほとんどの事柄は「バランスが大切」ということに落ち着きます。
    言葉で書くのは簡単ですが、実に曖昧なんですよね。でも、真実だと思っています。
    子育てに必勝の法則はありません。この「バランス」を取る為に四苦八苦します。
    与えるのか、与えないのかだけでもいろんな葛藤がありますね。

    子育ては苦悩と葛藤の連続であり、楽しみの連続でもあります。
    「自分で考える」というテーマを持てば、それに必要な子どもとの接し方になっていきます。
    自分で考えさせるということは、どのような方向に行くかもわかりません。
    「見守る」と言っても大変な事です。

            



      
    このエントリーは、2010年3月9日にUPしたものに追記しています。
     
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  • テーマ : 子育てのつぶやき
    ジャンル : 育児

    10代からの子育てハッピーアドバイス(オトコの子育て、疲れた時に)

         
    「10代からの子育てハッピーアドバイス 明橋 大二 著」を読みました。
    イラストというか、漫画付きで楽しい本でした。
     



    <10代の子どもに接する10カ条>

    <10代の子どもに接する10カ条>
    ■子どもを大人の力で変えようとする思いは捨てて、肩の力を抜こう。
    ■「どうして○○しないのか」という子どもへの不平不満を捨てよう。
    ■今、現にある子どものよさ、子どもなりのがんばりを認めよう。
    ■子どもへの、指示、命令、干渉をやめよう。
    ■子どもから話してきたときは、忙しくても、しっかり聞こう。
    ■子どもとの約束は守ろう。
    ■子どもに本当に悪い事をしたときは、率直に謝ろう。
    ■威嚇や暴言、体罰で、子どもを動かそうという思いを捨てよう。
    ■本当に心配なことは、きちんと向き合って、しっかり注意しよう。
    ■子どもに、なるべく、「ありがとう」と言おう。


    10代の子どもと向き合うための10のヒントです。
    実際、子どもと接する時に大切かもって感じることがいくつかあります。
    3年ほど前にこの10のヒントに出会いましたが、結構意識して取り組んできました。

    「子どもから話してきたときは、忙しくても、しっかり聞こう。」が一番ネックでしたが、少しはできるようになりました。



    <甘えと反抗と依存と自立>

    ■10代になって、いろいろと心配な行動や症状を出してくる子どもの話を、じっくり聞いていると、最後に必ず、出てくるのはこの自己評価の低さです。
    ■甘えない人が自立するのではなく、甘えた人が自立するのです。 


    この本の中で一番感銘を受けたのが、「甘えた人が自立する」ということです。
    「子どもの心は、依存と自立を繰り返して大きくなる」ということですが、子育てをしているとそう感じる事があるわけです。

    「自立」させることを意識すればするほど、どう向き合うという方法論が気になるんですが、反抗と依存を繰り返していて、結構周期的なものなんだなと気が付いた時、反抗しても戻って来る瞬間があるということに気が付きました。
    であれば、寄って来た時が大事だと感じました。

    こちらから近づこうとすると離れていくんです。
    それはさみしさを感じますが、観察していると「本気でイヤ」なようです。
    「嫌い、ウザイ」と言って離れて行ったと思ったら、違う日には何事もなかったように話しかけてきます。
    だんだん、この周期が長くなっていくのが思春期なんでしょう。
    追いかけずに「見守り」そして、寄って来る時に「受けとめてみる」を基本にやるようになりました。

    「自立」させるためには突き放すという人もいますが、それでは交流はゼロになってしまいます。
    普段、ウザイ存在のはずの父親に寄って来る時は、何かを求めているはずだと感じます。
    この本で、「甘えた人が自立する」と書かれているのを見て、これが答えなのかと感じました。

    子どもが10代になると、甘えと反抗のいったりきたりが、とても激しくなる。


    「甘え」も「反抗」も同じ娘なんですよね。
    「反抗が自立への扉」で、「甘えが自分の居場所の確認」なのかなと思っています。

    10歳を過ぎると、たとえ不安になっても、もう親には甘えられない。という気持ちが強くなります。その時に依存するのが友達です。(中略)こういう意味で、10代には友達関係が、心の成長にとって、いかに重要かということが分かると思います。


    娘たちは友達には恵まれているようで、親としてホッとしています。
    いくつも心配な出来事がありましたが、それなりに対処してきたみたいです。

    この話で思い出すのは、みみ姫の中学生の入学式の時に、先生が親達に「手伝うのではなく見守って欲しい」と訴えてました。
    「自立」するのにとても大事な時期を親が邪魔するなという風に理解しました。
    きっと友達との付き合い方も、自分で考えてやらせろってことなんでしょうね。

    思春期から青年期に向かうにつれて、依存関係は、友達へ、そして異性へと向かって行きます。その中で、こどもはさまざまに裏切られ、傷つきます。そんなときに帰ってくるのは、やはり家であり、親です。


    3年ほど前は、「友達はともかく、異性なんてことになると、正気でいられるかどうか…。」と書いていましたが、今はいい恋をしてくれたらいいなと思います。
    彼氏ができればできたで嫉妬するでしょうけど、ここ3年でそれもうれしいことなんじゃないかとも感じられるようになってきています。

    ところが、肝心なときに、親に拒否されたり、無視されたりすると、子どもは、「親に何を言ってもしかたがない」と思ってしまいます。特に、10代の子どもには、敗者復活戦はありません。いったん、大きく信用を失ったら、もう子どもは、親をあてにしなくなります。そうすると、本当に困った時でも、親に相談してこなくなります。私のところに相談に来る子どもに、「親に話したの?」と聞くと、「どうせ親に話してもムダだから」という子が多いのです。


    「10代の子どもには、敗者復活戦はありません」ということみたいです。
    これ多少思い当たることもありました。
    少なからず「どうせ親に話してもムダだから」という部分もできてきているように感じます。
     



    <いじめ>

    われわれは、子どもが「いじめられている」と相談してきたとき、ショックを受けます。そして、感情的になり、ついつい、「そんなのに負けちゃだめだ」とか、「やりかえせ」とか言っていまいます。(中略)そうできないから子どもは悩んでいるのであって、それなのに「もっと強くなれ」「言い返せ」と言い続けると、子どもは、結局、強くなれない自分が悪いんだ、言い返せない自分が悪いんだ、と思っていまいます。
     ただでさえ、いじめられる自分が情けない、弱い、自分がヘンなんだ、と自己否定している子どもたちです。それなのにありったけの勇気を出して親に相談しても、自分が悪いように言われたら、もうそれ以上相談できなくなります。


    「やっぱりいじめられる自分が悪いんだ」と「いじめるほうがおかしい」とどちらに子どもが感じるかは大きな分かれ目なようです。
    後者を子どもが当然理解していると思いこんでしまうと、危険なんですね。
    そうなんだ、子どもは自己否定状態であることを理解した上で受けとめてやる必要があるんだなと思いました。

    学校に行けなくなった、というのも、子どもの心の疲れが、ある限度を超えてしまったために、心のサーモスタットが作動して、学校へ行けないようにしているのです。それによって、それ以上、心が壊れているのを防いでいるのです。


    医学的には、心身過労状態にあるのに、一種のマヒ状態で学校に行き続けることの方が、医学的には心配ということのようです。

    先日、同じ年の娘を持つ同僚から話しかけられました。
    「実は、子どもが学校にいくと出かけて、サボってたんだよね。それで学校休むなら休むで言っておいてほしいし、連絡なしに休んだことを起こったんだよね。週1回くらい休むんだけど、あとの週4日は普通に通ったりしててね。もっと起こるべきなのかな。」という話です。
    親としてどうしたらいいのか悩ましいですよね。

    「うちの娘も先日部活でなんかあったみたいで、しんどいからって部活を1日休んだよ。前日に相当愚痴ってたから、仮病かなとは思ったんだけど休ましたよ。」
    「無断欠席は起こるべきだけど、無理に学校行かせるのは逆効果だと思うし、なにかあるんだろうけど分からない以上それでいいんじゃなかな。大人でも行きたくない時あるんだし。」

    同僚も先生には言ってあるし、今は様子をみていくということでした。
    どう対処すべきか難しいなと思います。

    同僚の娘さんのケースは、週1回程度の不登校ですので、学校内の何かが原因じゃないかなと思いますが、完全不登校は家庭内のコミュニケーションが上手く言っていない反応として出てくる事があるようです。

    子どもが、大人にとって都合のよい行動をしているときには、子どもを信じることは、そんなに難しい事ではありません。ところが、子どもが、大人にとって都合の悪い行動をしたとき、それでも信じることは、なかなか難しいのです。たとえ子どもが心配な行動や症状を出してきたとしても、何の理由もなしに、この子がこんなことをするはずがない、この子がこんなことをするのは、絶対にそれだけの理由があるはずだ。と信じるということです。
     これは子どもがウソをつかないということとは違います。そういうときも、ウソをつくにはそれだけの理由がある、と信じる、ということなのです。


    ここまで子どもを信じられるかどうか。
    なにかあったときに娘に「お前を信じている」と何回か行ったことがあるけど、単にかっこつけていっただけかもしれません。
    今は、幸いにも子どもが信じられないと思ったことはありません。

    こどもがいじめの被害をうけないために親として気をつけるべきこと
    ■ふだんから、子どもの自己評価を高めるような関わりをする。
    ■何でも親に言える関係を作っておく。
    ■そのためには、子どもの話を聞き、子どもなりの努力を認め、信頼関係を築いておく。
    ■注意や叱責の繰り返しは、ある程度の信頼関係を築いたうえでないと、効果がないばかりか、逆にコミュニケーションを断絶させる危険があることを知る。
    ■もし子どもが何かを相談してきたり、相談したそうなそぶりを見せたりしたときは、時をおかず、しっかり話を聞く。


    こういうことは知っておくほうがいいと思いますが、実際のとこどうしたらいいのかな。

    【今の私にできそうなこと】
    ■子どもを信じて「見守る」
    ■子どもが寄ってきた時(=甘えてきた時)に「しっかり話を聞き(=否定せずに)」そして受けとめる。
    ■そして、親としての正直な思いを子どもに伝える。
    ■子どもの「心」を考える
    ■家を子どもがほっとできる(=安心できる)場所にする。

    これからもこれらを意識していきたいと思います。

    都合のいい時だけ頼ってくる、と言いますが、子どもはつらいからこそ、最後は親に頼ってくるのです。断絶しかけたコミュニケーションを回復するには、そのように頼ってくる、わずかな甘えを、大切に育てていくのが、ポイントです。


    子どもが思春期になると、「自立」を意識してしまいます。
    この本を読んできっとそうだと思ったのは、「自立」と「甘え」は違うのではなく、「甘え」をいかに受けとめられるかが親として意識改革を求められていることではないのかという事です。

    最後に帰って来るところが親であるなら、この家に居場所があるという事が大切なんだと思います。
    自分の居場所がないなんて大人でも耐えられません。
    ひょっとしたら、親が幸せを感じるということが、一番なのかもしれませんね。
      
             



      

    このエントリーは、2010年4月13日にUPしたものを修正しています。
      
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  • テーマ : パパ育児日記。
    ジャンル : 育児

    格安のTOPVALU(トップバリュ)の学習帳(漢字練習帳、連絡帳、ノート)vsジャポニカ学習帳

     
    小学生の子どもがいると学校で学習帳を使いますが、多くの方が100円ショップ等でジャポニカ学習帳などの有名メーカーのノートを買っているのではないでしょうか。
    実は、イオンのブランド「TOPVALU(トップバリュ)」でも学習帳が作られていて、58円という格安の値段で売られているんです。
    5%割引の日にまとめ買いするともっと安くなります。
    安いからといって私的には品質が悪いとは感じませんでした。
    子どもが学校で使う学習ノートを100円ショップで買っていましたが、たまたまサティ(イオン)に行ったときに、驚きの価格で売られているのを見つけました。

        note1.jpg
     
     
    「TOPVALU(トップバリュ)」の学習帳に出会ったときに最初に感じたのは、「価格はなんと58円!」でした。
    おいおい半額くらいじゃん。相当な衝撃でした。

    学習ノートは月に何冊か買うのでこれまでどれだけ損していたことか。
    娘によるとこのノート持ってきている人はクラスに10人くらいはいるんです。
    知ってる人は知ってるんですね。

    「漢字200字」で比較してみます。
    問題は安かろう悪かろうなのかどうかですが、手ざわり的にはジャポニカ学習帳の方がちょっとツルツル度が良い気がします。
    しかし、トップバリュの方でも全然問題ないですよ。

    あとは、ジャポニカ学習帳には学習百科というちょっとした教材がついているが、トップバリュの方はついていないんですけど、。それは必要とはいえないです。
    トップバリュ学習帳は、必要な機能を備えており、使用上全く問題ないし、コストパフォーマンスが最高という結論になりました。




    <TOPVALU(トップバリュ)の学習帳>


    5%オフの日に買うと、「58円×0.95=55円」で買える事になりますよね。
    TOPVALU(トップバリュ)学習帳のラインナップも相当充実してきているみたいです。

    (2012年12月現在のラインナップ)
    ■トップバリュ 漢字練習帳 91字
    ■トップバリュ 漢字練習帳 104字
    ■トップバリュ 国語 12行
    ■トップバリュ 国語 15行
    ■トップバリュ 国語 17行
    ■トップバリュ こくご 8マス
    ■トップバリュ こくご 10マス
    ■トップバリュ こくご 12マス
    ■トップバリュ こくご 15マス
    ■トップバリュ こくご 18マス
    ■トップバリュ 英習帳 8段
    ■トップバリュ 英習帳 10段
    ■トップバリュ 英習帳 13段
    ■トップバリュ 英習帳 15段
    ■トップバリュ 漢字練習帳 50字
    ■トップバリュ 漢字練習帳 64字
    ■トップバリュ 漢字練習帳 100字 72ページ
    ■トップバリュ 漢字練習帳 120字
    ■トップバリュ 漢字練習帳 150字 72ページ 
    ■トップバリュ 漢字練習帳 200字 60ページ
    ■トップバリュ 算数 22行
    ■トップバリュ 共環宣言 さんすう 14マス
    ■トップバリュ 共環宣言 さんすう 17マス
    ■トップバリュ 自由帳 無地
    ■トップバリュ 連絡帳 10行
    ■トップバリュ 連絡帳 14行
    ■トップバリュ 方眼罫 5mm
    ■トップバリュ 方眼罫 7mm
    ■トップバリュ 方眼罫 8mm
    ■トップバリュ 方眼罫 10mm
    ■トップバリュ 方眼罫 12mm
    ■トップバリュ 方眼罫 15mm
    ■トップバリュ 音楽罫
    ■トップバリュ たて罫 17行
    ■トップバリュ たて罫 19行
    ■トップバリュ たて罫 22行
    ■トップバリュ たて罫 27行

    (2011年1月11日現在のラインナップ)
    ■トップバリュ 漢字練習帳 50字
    ■トップバリュ 漢字練習帳 100字 72ページ
    ■トップバリュ 漢字練習帳 120字
    ■トップバリュ 漢字練習帳 150字 72ページ 
    ■トップバリュ 漢字練習帳 200字 60ページ
    ■トップバリュ こくご 8マス
    ■トップバリュ 学習帳 こくご 18マス
    ■トップバリュ 学習帳 算数 17マス
    ■トップバリュ 共環宣言 こくご 10マス
    ■トップバリュ 共環宣言 こくご 12マス
    ■トップバリュ 共環宣言 こくご 15マス
    ■トップバリュ 共環宣言 さんすう 14マス
    ■トップバリュ 共環宣言 国語 12行
    ■トップバリュ 共環宣言 国語 15行
    ■トップバリュ 共環宣言 国語 17行
    ■トップバリュ 共環宣言 算数 22行
    ■トップバリュ 共環宣言 連絡帳 10行


    子どもが小さいうちはかわいいノートがいいかもしれませんが、ある程度子どもが大きくなってくるとトップバリュでもいいですね。
    プライベートブランドはここまで進出してるんですね。






    このエントリーは、2011年1月14日にUPしたものを修正しています。

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  • テーマ : 子育て・教育
    ジャンル : 学校・教育

    嫌がる子どもの習い事(塾・英語・運動など)

     
    うさ姫が小学校3年生の頃(2008年)のお話です。
    うさ姫の友達のお母さんの悩みの話を聞いて、「あぁ、みんな習い事ってそんな風なんだ」って思ったことを書いてみたいと思います。
    夏祭りイベントに一緒に参加した時の打ち上げの準備のために、うさみみ家に遊びに来てくれてたすごく習い事に熱心なお母さんです。




    <我が子の習い事事情:小学校>


    話のきっかけは、「うさ姫が問題集を買ってもらったことを嬉しそうに話した」ところからスタートしたようです。
    みみ姫もうさ姫も小学校の間は習い事にはいっていません。
    一つだけ習い事と言ってもいいのかもしれませんけど、トランポリンにいってます。
    当時はサークルに近かったのですが、それなりの先生に指導して頂く形になっているので習い事ですね。
    ですので、1つ習い事をしていました。

    子どもの習い事に熱心なお母さんにとって、我が家の習い事事情は異常に思えたのかもしれません。
    それで、逆にどういう風に勉強しているのかってことが気になったのでしょう。

    (関連するエントリー)教育費の貯め時と家庭教育




    <嫌がる子どもの習い事>


    その習い事に熱心なお母さんには、大きな悩みがあって、子どもに「ピアノ」、「ダンス」、「英語」を習わせているのだけど、ダンス以外はイヤイヤいってるということでした。
    「嫌なら止めればいいじゃん」と妻も思ったようです。
    私も同意見です。

    妻は、「送り迎いも大変じゃないの?」と聞くと、「大変なのよ~><」ってことです。
    なぜ、その子がピアノと英語が嫌なのかを尋ねてみると、家に帰って練習や宿題をしなければいけないからなんだそうです。

    まず、「子どもが嫌々行っていて、理由も聞いてはっきりしているのに、なぜ止めさせないのか?」が素朴な疑問となると思います。
    それ以上のことを突っ込むのは野暮というものなので、そういうことは聞いていません。

    ここからは想像ですけど、教育熱心な方なので「止める」というのに抵抗があるのかもしれません。
    「止め癖がつく」のが心配になるのは確かにありそうです。

    私が気になったのは、その習い事が嫌な理由が「家に帰って練習や宿題をしなければいけないから」の中の、「しなければいけない」という点です。
    学校の宿題もあるだろうし、「しなければいけないこと」が多ければ、他のやりたい事を我慢しなければいけない機会が多いということになります。

    小学校3年生の段階で、がんじがらめにしすぎているのではというのが私の感覚です。
    むしろ子どもが自分で何かをしたいと思う事を見つけて自分のペースでさせればいいと考えている我が家とは、根本的に考え方が異なるので、止め癖がつく心配より、嫌々やっていることの悪影響の方が心配です。

    いずれにせよ、子どもとよく話し合うしかありません。




    <子どもは親の期待を感じる生き物>


    私が子どもの習い事で一番気にしていることは、「子どもは親の期待を完璧に感じとって、親に気に入ってもらうために、無理にでも期待に添おうとすること」です。
    親が教育熱心で、早期教育で英会話を習わせたいと強く望んでいるとして、子どもに英会話の重要性を解きつつ習ってみたいかと聞いたら、親の思いが強ければ強いほど嫌だとは言わないのではと思うんです。

    実際やってみて、嫌だったとしても我慢して嫌ではないふりをしていたら、いつかその我慢は爆発するか、別の形で表れることになります。
    怒られるのを覚悟で親に嫌だと伝えた勇気ある子どもも、「あなたが習いたいと言ったでしょ」、「途中でやめるのは良くないよ」などと言われたら、ひたすら我慢するしかありません。
    大好きなお母さんに嫌われたくないですから。
    次の反抗期までは、その子は我慢の檻に自分を自分で閉じ込めかねません。

    親は親で子どものためを思って、お金をかけてやろうとしていることです。
    だから子どもが小さいうちにいろんなことに挑戦させてやりたいと思うのは自然です。
    そして、いろんなことを身につけてほしいという気持ちも素晴らしいと思います。

    ただ、挑戦させてあげることはとてもいいことですが、やってみて嫌ならば「止める」のも大切だと思います。
    子どもは自分がやりたいことなんてわからないんですから、上記の子のように習い事がきっかけで「ダンス」に目覚めるなんて素敵なことです。
    でもあれもこれも身につけることは、物理的にも時間的にも困難なことなので、身につけてほしいことに親が固執し過ぎると良くないように思います。

    まずは親の思いは一切捨てて、子どもの素直な気持ちで判断すべきだと思います。
    私ならば、英語かピアノかどちらか本気で嫌がっている方を止めてみて様子を見ると思います。




    <教育費をかける親が良いのか?>


    私は「子どもは親の期待に答えるために無理をする生き物だ」と思っています。
    「親からいいように思われるためには何でもする。」時期があると思うんです。

    よく「子どもが行きたいと言った」と訴える人もいますけど、「親にいいように思われるために、親の期待どおり、行きたいと言うことは充分に考えられる」のです。
    正直言って、どちらが親か分からないような話です。

    教育熱心な親ほどこの点を見過ごす可能性があります。
    (上記のお母さんのことを言ってるのではないですよ。そこまできつく縛っておられないようなので。)

    教育費をかけている、塾に行かせていることが、家庭教育と錯覚しているようなケースも割と耳にします。
    他人の事なので耳にするだけですけど。

    そういうケースは「親の自己満足と見栄」と「子どもにかける期待」が入り混じっているのかもしれないです。
    そういう環境で子どもの才能が開花するかもしれませんから、一体何が正しいのやらわかりませんけど。

    そこに「子どもの心や気持ちがどこまで反映されているのか」というアンテナを忘れてはいけないのだと思います。
    それが唯一の答えなのかなと。


    お金の話で考えると、小学校の時期は家計がすごく楽な時期であり、教育費をかけやすい時期です。
    いわば教育費の貯め時なのですが、とても大切な約10年後の教育費に備えることと、今の教育費のバランスを考える意識がとても重要なんです。

    (教育貧民(畠中雅子)から抜粋転記)
    ■教育費は「どこまでかけるか」を考えるのではなく、「どこまでかけるべきなのか」を考えるのが大切。
    ■早期教育費の突出が将来の教育資金の不足を招く。
    ■ニートの親は教育資金を潤沢にかけたケースが多い。
    ■ニートのこどもを持ったことで、親側の生活設計が大崩するケースが目立つ。
    ■親自身に社会の変化についての認識が甘い。


    私の認識を加えて自分なりに解釈すると、「教育資金をかけすぎる=教えてもらうことに慣れる=自分で考えやる力が削がれる」もしくは「習い事に時間を取られすぎる=友達と遊ぶ時間が減る=人と強調できなくなる」などと考えてしまいます。

    もちろんこれは極端な話なのですが、少し社会全体を見渡してみると、あながち飛躍した考察でもないと思っています。



    <止め癖と続けること>


    「子どもの心や気持ちがどこまで反映されているのか」というアンテナが、子どもが嫌がってると判断したとしても別の悩みが生じます。

    どんなに嫌がっている習い事でも、止めてしまうと止め癖がついて、「我慢できない子どもに育つのでは?」とか「嫌なことがあったらすぐ逃げる子になってしまうのではないか?」という心配があります。
    親としてはとても悩ましい心配事ですよね。

    そこで我慢して続けて少しづつ好きになるかもしれません。
    でもそうではないなら地獄です。
    どこで止めるのか見極めるのは大変なことですね。


    「長続きの秘訣とは何か」という逆の視点で見てみます。
    長続きの秘訣は、要するに「子どもが好きになるということ」であり、「子どもが興味を持つこと」です。
    子どもが上手い下手関係なく、好きになり長続きできるものを親子で見つけて、それを続けさせることで嫌々やっている習い事をやめたとしても「止め癖」にはならないと思います。

    問題は「嫌な事があったら逃げる子になる」の方ですが、「一度始めたら止めるのは悪」というのも極端すぎるようにも思います。
    どうすればいいのか一般解はないのかもしれませんが、嫌々続けるのであれば、レベルを下げるとか、通う頻度を減らすとか、先生を変えてみるとか、いろいろやってみる方がいいかなと思います。

    こうした悩みは、親が頑張りすぎて親の思いが強すぎることが主な原因かもしれません。

    「子どもの習い事」ってのは、最初は「お試し感覚」でいいんじゃないかと思います。
    「お試しなんてそんないいかげんな」とか「子どものことを真剣に考えていない」という意見も多いでしょうけど、お試しである以上、ストーリーは続いていくんです。
    私の感覚では、予定通りの子育ての方がよほど怖いです。






    このエントリーは、2008年7月30日にUPしたものを修正しています。


    (関連するエントリー)教育費の貯め時と家庭教育
    (関連するエントリー)こどもの養育費(教育費)と統計データの罠
    (関連するエントリー)子どもの学習費はいくら(文部科学省:子どもの学習費調査より)
    (関連するエントリー)子育て費用のシュミレーション
    (関連するエントリー)進研ゼミ中学講座の体験記(評判など)
     
     
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    ジャンル : ライフ

    親のお金の価値観を伝える

     
    コマーシャル(CM)というのは恐ろしい。
    なぜか番組よりも音量が大きいし、なぜかあのフレーズが頭から離れなくなる。

    大人でも通販番組を見ているとなぜか欲しくなってくる衝動があります。
    「いや、私は通販番組なんか見ても、CMを見ても欲しくならないよ」と思った人もいるでしょうが、それは発信者のターゲットがあなたではないからかもしれない。
    お菓子のCM、おもちゃのCM、好きなアーチストのCD、あこがれのカリスマモデルが着た服など、テレビだけではなく、雑誌やインターネットで、誘惑にさらされる子どもたち。

    資本主義である以上、そんな誘惑を子どもからある程度隠すことはできても、完全に消し去ることはできません。
    ましてや子どもが大きくなってくると、親がいくらガードしようとも、友だちからいくらでも入ってきます。
    そうした誘惑から遠ざけるのも1つの方法である程度の時期までは有効だろうけど、子どもの交遊が広がってくると有効ではなくなるだけでなく、それまでそうした誘惑に対しての若干の抵抗力も伝えることができなかったならば、子どもが自分で自然に学ぶか誰かが教えてくれるしかなくなるかもしれない。




    <親の価値観を伝える>

    子どもへのお年玉とプレゼント」のエントリーで書いたのですが、しかるべき時期に「親のお金の価値観を伝える」ことを怠ってはいけないのではないか。
    親のお金の価値観を押しつけるようにではなく、姿勢を見せるという形で、子どもに見せることが大切なのではないかと感じています。

    子どもが常にモノを欲しがって困ると嘆く親は、あなた自身も常にモノを欲しがっているのかもしれません。
    子どもが貯金できないと嘆く親は、あなた自身も貯金ができないか、貯金しているところを子どもに見せていないのかもしれません。
    子どもがおこづかいやお年玉をもらったらすぐに使ってしまうことを嘆く親は、あなた自身も給料日前は食費を削って耐え忍んでいるのに、給料をもらったとたんに食事を豪華にしているのかもしれません。

    本当の因果関係はわかりませんが、少なくとも子どもは幼少期から小学校くらいまでは、親の行動をまねしたり、観察しているのではないかと思います。
    この時期は親が最大の先生なのだと、何度も気づかされてきました。

    親としては大人だから自分は分別を持って行動しているわけですが、子どもには行動の理由を伝えない限り分かりません。
    家計のやりくりを頑張って、予算内に納めるために、給料日前は食費を削って我慢と努力をして、これが「やりくり」なんだという姿勢を子どもに見せるのも1つだと思います。
    でもひょっとしたら、給料日前が質素な食事で、以降が豪勢な食事とはいかないまでも普通の食事だとすると、そうしたギャップの方が子どもに伝わってしまうかもしれません。

    「やりくり」を子どもに伝えるなら、ちょっと家計簿を一緒に付けてみようかなんて感じで、「こうして貯金しているんだよ」ってことを、自然な流れで伝えてみるのもありかななんて考えてやってみるのも面白いかと思います。
    それをやってみて、子どもが目を輝かせればそれは親の思いのかけらが伝わったのかもしれません。




    <なぜ買うのか、なぜ買わないのか>


    お金の価値観が典型的に表れるのは、「買い物などのお金を使う時」だと思います。
    そして、逆に「買わない時やお金を使わない時」も同じです。
    もう少し広げてみると、「なぜ、今、買うのか」や「なぜ、今、買わないのか」ということです。

    お菓子を買ってとせがむ子どもに、「もっとお金をためてから素敵な事にお金を使おう」と伝えたいけれども、そう簡単には理解できないのが子どもです。
    ついつい「わがまま言うな」と怒ったり、その場をまるくおさめようと「今はお金がないの」なんて嘘をついてしまいます。本当に子育てって根気がいります…。

    「なぜ、今、買わないのか」といえば、将来もっと有意義にお金を使うためか、もしくは、それにお金をかける意義が薄いということです。
    そういう場面に出くわしたチャンスをできるだけ生かしていきたいと思うわけです。

    さらに大事だと思うのは、そうした子どもの行動だけではなく、我々大人の行動が大切です。
    「水曜日が安いからたまごを買ってきたよ」とか、「毎月やりくりしてお金をためて家族旅行に行くんだよ」とか、「同じもので値段を量で割ってこちらの方が得だからこっちにしよう」とか「こっちの方がお得だけど、量が多すぎて食べきれないから小さい方を買おう」とか「もう少し待ったら○○が原因で安くなるから待とう」とか「中古でも同じだしその方が安いから中古を買おう」とか「これは高いからもっとお金を貯めてから買うとか、ぼそっと言ってみるなんてのもいいかも。

    「同じようなものを持ってるから買わない」とか「それを買わなくてもこんな工夫をすれば大丈夫だよね」とかもありだよね。
    「親の価値観や金銭感覚を子どもに伝える」ってのは、子どもの金銭感覚に大きな影響を及ぼすと思うんです。
    親もそんな努力が必要ではと感じます。





    <待たせる効果>


    大人でも欲しいものを我慢するのは大変です。
    「友人が持っている」というだけで、大人でも欲しくなることがあるわけですから、子どもはなおさらです。
    「他の人が持っているのに自分が持ってない」なんて悲しいと思うのは自然です。
    でも、本当に欲しいものなのか、そういう悲しさだけなのか、それも分別の1つですよね。
    大人でも難しい分別です。

    これを見極めるにはありきたりですが、「待たせる」つまり「時間を置く」というのが経験的に有効ですよね。
    「お金が貯めるまで待たせる」とか「お年玉をもらうまで待たせる」などになりますか。
    こうして待たせるのは最初は大変ですけど、何でも手に入れるほどお金がないわけですから、子どもの要求が高額モノになるにつれ、どうせいつか待たざるを得なくなります。

    「待たせて、時間を置く」ことで、子どもに本当に必要なものかを感じさせるという思いを親が持つ必要があると思います。
    ということは、親が衝動買いを繰り返していては、子どもに伝わるはずがないということです。



    親が子どもに伝えたいことをしっかりもっていないと、子どもに誤ったメッセージが伝わる恐れがあるというのを経験的に感じています。
    子どもは親を見て育ちます。
    ぼくたちは、見られて、観察されているんです。
    そして、子どもに何かを伝えることが可能な時間というのは有限です。
    子どもはいつか大人になるのですから。
    お金のことだけではなく、「親の価値観を子どもに伝える」って大事だと感じています。
    押しつけず伝えるというのは、なかなか難しいことで、ほんと悩みますね。

     



     
     
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  • テーマ : 子育て・教育
    ジャンル : 学校・教育

    子どもへのお年玉とプレゼント

     
    子どもの幼少期は、もらったお年玉の取り扱いについていろいろ悩みました。
    おこづかいをあげる小学生になった段階で、お年玉は子どもたちに全部渡すようにしました。
    お年玉は子どもにとって数万円ものビックな収入です。
    しかも労働の対価ではなく、風習があるからもらえるものです。

    実はうさみみ夫婦は、子どもにお年玉をあげていません。
    ちょっとかわいそうな気がしますが、何故かそうなりました。
    カミングアウトすると、クリスマスプレゼントや子どもの日にプレゼントはあげていません。
    世間一般の常識からするとかけ離れているかもしれません。
    合理的な理由ではなく、作られた風習が好きではないという感情が主な理由です。

    子どものお誕生日にはプレゼントを買ってあげています。
    最近は、誕生日時点で欲しいものがないということで、現金でくれと言われましたが、それはダメということで○千円の権利をプールすることを約束させられました。
    欲しいものがないのに無理に買うこともないので、その提案に同意しました。

    クリスマスプレゼントなどを与えないことでちょっと変な子どもにしてしまったのかもしれません。
    でも買ってもらえるから無理にでも欲しいものを探すより、絶対健全だと思えたので、悪いことではないと思いました。
    悪影響があるとすれば、子どもたちは甘え下手だということでしょうか。
    というより「言っても無駄だ」と思っているのかもしれません。
    そんな感じなので、福袋を買ってあげるというだけでかなり喜んでいました。
    まあ、我が家はそんな感じでいいんじゃないと考えるようにしています。

    お年玉は子どもに全部与えています。
    欲しいものを買うだけのお金は持たせているはずです。
    身銭を切ってまで買いたいものと、タダでもらえるから欲しいものは異なると、娘達は考えているようです。

    そこを意識しているからこそ、お年玉をもらったらすぐに何かを買いに行くことがないようです。
    お年玉セールで安く買えるから買うというのはありでしょうが、欲しいものも安くなるまで待つとかも普通にやってます。びっくりするほどしっかりしてます。
    もっとお金を使えばいいのにと思うくらいです。





    <風習とイベント>


    「風習に否定的なのはどうなの?」と思った人がおられると思いますが、あくまで業界に作られた風習があまり好きではないと思っているだけです。
    クリスマスを祝うのはクリスチャンであれば自然だと思うし、祝うこと自体は素敵なことで、ケーキを買ってお祝いをしたりします。
    2010年のクリスマスは、ケーキのスポンジだけを買って子どもたちが作る予定だったみたいだけど、なんかいそがいくて正月になってもスポンジが残ったままです。

    こどもたちにプレゼントをあげて家族のイベントとして楽しむことは素敵なことだと思います。
    ただクリスマスプレゼントとかはおもちゃ業界におどらされている気がして好きではないというだけです。
    家族として、何をお祝いし、祝福し、イベントとするのかはホント自由にすればいいと思うんです。
    でも惰性でするのなら、別にいいやんと思うだけ。
    子どもの日だから何かを買ってもらえるってのもクリスマスとおんなじ気持ちです。

    お年玉については、親として子どもにあげるべきだと思いつつも何故か渡さない流れになっているので、ちょっと引け目を感じています。
    いろいろ総合して親としてはキツイ方だろうなと思うのです。
    それに子どもの日が特別でないなら、母の日も、父の日も、敬老の日も、勤労感謝の日も同じということですから、そういう節目を大切にしていないということで、それがいいのかどうかは正直自信はありません。
    この点は、子どもには大きな影響があるかもしれないですね。





    <こどもがもらうもの>


    子どもがもらうお年玉やプレゼントについては、小学1年生くらいまでは管理しようとしていましたが、おこづかい帳がつけられる段階では、親としては管理していません。
    管理しようとしても、いつか管理できなくなりますから、子どもたちにまかせる方がいいと思いました。
    友達を通じて他の家庭の価値観にも影響を受けるはずです。それを排除することはできません。

    おじいさんやおばあさん、親戚の好意に制限を加えるのも気が進まないですし、そういう特別な時も必要だと思います。
    「特別な日」と「日常」は別であるというのは、大人になってもあることです。
    その「分別が大切」だと思うんです。
    ですので、子どもにとって「特別な日」もまた大切なんですね。
    うさみみ家では核家族なので「特別な日」は解りやすいですが、同居されているところは難しそうですね。

    お年玉をもらったらすぐに使ってしまう子どもも多いみたいです。
    きっと欲しいものがたくさんあるんでしょうね。
    うちの子はすぐに買うことはないようです。
    欲しいものがないわけではないでしょうがたくさんはないようですし、買うのなら時期を待って買っているようです。

    どちらがいいとは言えません。
    もう少しお金を使ってもいいやんと思いつつも、ぼくたち親もお金を使うのが下手というか物欲が薄いというか、似たもの親子なんだなと思います。背中を見て育つというか。

    給料が入る前はピーピーで給料が入ったらおかずが良くなるなんて話をよく聞きますが、これを子どもが見ているとお金が入るまで我慢して入れば使うってことを学ぶかもしれません。
    臨時収入が入ったから欲しいものを買うという話もたまに聞きますが、これを子どもが見ているとお年玉が入れば欲しいものを買うってことを学ぶかもしれません。

    親のお金の使い方がシビアすぎて反対に子どもが浪費するなんてこともありうりわけですが、基本的には親のお金に対する姿勢は子どもに伝わるものではないかなと思っています。
    うさみみ家では、給料日はまったく特別な日である感じではありません。
    給料日にATMに並ぶこともないし、妻も今日が給料日だと言わないと気付かない方が多いです。

    これはお金があるかどうかではなく、お金の管理方法の違うだけです。
    毎月使い金額は同じでも、フローから使うか、ストックから使うかの違いなんです。
    うさみみ家の場合、毎月の給料というフローから生活費を出すという感覚ではなく、家の資産(ストック)から生活費を出すという感覚で、つまるところフローがストックに入ってから使うだけということです。

    だからお給料日はただフローからストックに蓄積されるという形になっています。
    うちの娘たちもどちらか言えばそれに近いお金の管理をしている気がします。
    子どもは親を自然に真似るのかもしれません。

    ひょっとすると「お金を使わずに貯めて偉いね」と言ったことが影響しているかもしれません。
    これが、「お金を使う=悪、お金をためる=善」という偏った考え方を持った可能性もあります。
    お金は使うためにあるもので、どのように使うかが大切で、そこをいかに教えていくかもまた難しいですね。





    <お金の器を育てる>


    人には「お金の器」があって、それは成長していくものではないかと考えています。
    よく宝くじの高額当選者が人生を狂わすという話を耳にします。
    高額当選者の心得みたいなものをもらうらしいです。

    こどもに大きなお金を管理させるのは大丈夫なのかという心配もこの「お金の器」の心配と言えると思います。
    千円が大金の思えたのは何歳くらいまででしょうか。
    千円ではなんでも好きなものは買えないことを知ったのは何歳だったでしょうか。

    1万円は大人にとってもそれなりの大金ですが、子どもはどう思っているのでしょうか。
    子どもの成長に伴い欲しいものの金額が上がってきます。
    1万円でかなりのものが買えても、やはり買えないものがあります。

    千円を貯金していき、1万円にすることで、きっとお金の器は大きくなるんだと思います。
    千円の貯金を頑張っている子どもに、百万円をいきなり与えると欲しいものがいくらでも買えてしまいますし、買ってもちょっとしか減らないわけですから、これまでの感覚がマヒしてしまいます。
    宝くじの高額当選者が人生を狂わすという話もメカニズムは同じではないかと思います。
    「お金の器」が子どもより大きいはずの大人でさえ、お金に関しての知識も豊富なはずの大人でさえそうなのです。
    この感覚のマヒが「お金の器」が壊れるということではないかと思うんです。

    現在の娘のお金の器はどのくらいなのか。
    ちょうどお年玉の総額となる数万円のフローがあっても、彼女たちの生活は変わる感じがありません。
    数十万円の貯蓄(ストック)があるようですが、それだけのお金を持たしても親としてはやばいと感じることはありません。

    うさみみが子どもの時は、娘たちほど貯めてはいませんでしたが、同水準のお金を子どもの頃に扱っていたので、やばいとは感じないんでしょう。
    でもいきなり数十万円を渡すとどうなるかはわかりません。
    つまり社会人のような給料レベルのフローになると一体どうなってしまうんだろうね。

    社会人になる前では、アルバイトをすると50万とか100万円のストックになることがあります。
    うさみみにとっては大学時代でした。
    高校生くらいからは親の管理外になるはずで、そこから先は娘が自分で自分のお金の器を育てていくしかないんですよね。

    うさみみは大学時代ひと夏のバイトで50万円稼ぎ、すぐに新車のバイクに消えました。
    中古でバイクを買った友人と比べていい買い物だったかどうかは「×」だったと今では思います。
    欲しいものがあって貯めて買ったというより、50万円ポンと稼いだので新車が買えると短絡的な買い物になったと思います。
    結局2年しか乗らず、車に買い替えました。
    卒業まで乗ったとしても4年しか乗らないのに、一気に50万も使ったというのは心のどこかにひっかかっていました。
    この時、当時のお金の器のギリギリの攻防だったんだと思います。

    2回生の終わりに買った車は20万円もしない中古車でした。
    でもさんざん乗りまわしたので、十分元を取れたと思います。
    どこまでお金をかけるかをちょっとは考えたからこそ、後悔がない買い物だったんだと思います。
    こうした経験は、社会人になった時にも影響を及ぼしていくんでしょうね。

    子どもの「お金の器」もフローの量とストックの量とそれを得た背景によって影響があるのだと思います。
    そうした「お金の器」という自作の概念を持って、娘を観察しています。
    フローの変化、ストックの変化に娘たちがどう反応していくのか静かに見守っています。





     
     
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    子どものおこづかいはいくら?


    みなさんは子どもにどのくらいの「おこづかい」をあげていますか?
    子どもにおこづかい帳をつけさせていますか?

    子どもにいくらおこづかいをあげるのかはみなさん悩んでおられますよね。
    うさみみ家では、結果的にうさみみの子どもの頃と同じ形になりました。
    何故かと言われると、妻も似たようなおこづかいだったのとわかりやすさで決めました。

    決めましたと書きましたが、実際は決めていません。
    子どもと相談しながら結果的にそうなったというか、そうしむけたというか。
    親として何を子どもたちに何を伝えたいかによって、おこづかいの形が変わってくるかもしれませんね。




    <おこづかいの形>


    おこづかいの形を区分してみるとこの3つになりますよね。

    ■定額制:毎月(毎週、毎日)決まった金額をおこづかいとして渡す。
    ■報酬制:お手伝いや軽労働など働いた分に応じておこづかいを渡す。
    ■混合型:定額制と報酬制の両方

    うさみみ家では小学校低学年までは、簡単なお手伝いを義務にして定額制でおこづかいを渡していました。
    こどもが小さいうちはある程度やるんですけど、知恵が付いてくるとやってもやらなくてもおこづかいの金額が同じなのに気がついてくるんです。
    そうなると普通やらないですよね。

    「サボった分だけおこづかいを減らす」などとやらせようと努力するんだけど、お手伝いをさせるためにおこづかいを渡しているという気持ちではないので、親の根気の方が負けるんですよね…。
    定額制である以上、報酬制のように労働の対価として運用するのは最終的に上手くいかないんですね。
    それともそれはうちだけですかね?

    定額制にする親の想いはどこにあるのか。
    貯金したり計画的に遣うなど「お金を管理することを学んでほしい」ということではないでしょうか。

    ほしいものがあった時、すぐに買ってくれとせがむのではなく、貯金して買うことを覚えてほしいと思います。
    計画的にお金を使ってほしいわけですよね。
    定額制は、家族であるということで一定の額が与えられる(当然家族としてすべきことをしなければいけない)わけなので、計画的にお金を管理するにはわかりやすい方法ですよね。
    その定額制の形で「お金は労働の対価としてもらえる」ということを学んでほしかったのですが無理があったのかも。

    定額制のデメリットは、別にお手伝いをしなくてももらえるということでしょうか。
    お手伝いが楽しいうちは問題ありませんが、いつか忙しいを理由にお手伝いをしなくなります。
    やらなかった分おこづかい減らすとしても、消耗戦みたいになります。
    家族の義務を強制させることに意義があるのか、もっと自然に家族としてすべきことをしてほしいわけです。
    教科書では「おこづかい=家族としての手伝い」と書かれているのをよく見かけますけど、子どもの成長とともに無理がでてくるのではと思うんです。

    いつの間にかなし崩しになりました。親としてはダメですかね…。
    お手伝いはその都度言います。おこづかいとは別で考えていこうと思いました。
    そこで報酬制も取り入れました。
    「労働の対価としてのお金」というのも1つの概念として学んでほしいんですよね。
    幸いなことに定額制おこづかいの金額は低いなと思っていたので、ちょうどいいかと思いました。

    ちょうど足つぼに凝っていたので「足つぼ押し」をさせました。
    あとは、「美顔器」とか「年賀状の干支の絵書き」などかな。
    最近は、「畑仕事」ですね。
    これは報酬がいいのです。下の娘だと1カ月分のおこづかい位になるレベルです。
    時給でいうと300円~400円くらいになります。

    もちろん始めたころはもっと少ない給料でした。
    今では指示をするだけで(内容によっては指示なくても)仕事をしてくれますから、そういう評価も伝えながら給料を上げるなど娘達と相談して決めています。
    こういうやり取りが大切なんですね。
    それに仕事としてみても実際すごく役に立つレベルになっています。子どもの成長を感じます。誇らしいです。

    報酬制は度が過ぎるとなんでもお金に換えたり、家族としてのお手伝いをしなくなる恐れもあります。
    ですのでこちらのニーズがありやってくれると確かに助かることだけにしています。
    無理やり仕事を作るのはかえってよくない気がします。

    ということでうさみみ家では、定額制で始まり、混合型に至るという流れでした。




    <子どものおこづかいはいくら?>


    子どもにおこづかい(定額制)をいくら与えるかというのは、おこづかいで何をまかなわせようと親が考えているかによると思うんです。
    どの費用までは親がだしてあげて、ここから先はおこづかいでまかなわせるという境目を子どもに理解させることが必要ですよね。

    うさみみ家では、おやつや学用品などはすべて親持ちです。月1冊の雑誌も親持ちです。
    お年玉はすべて子どもに渡します。親が強制的に預かって貯金してあげるなんてしません。
    貯金するかどうかは子どもの判断です。
    お年玉は、おこづかいが意味がないほどに大きな金額レベルになるわけですが、子どもがもらったものを親が管理するのは、子どもが学ぶ機会を失わせる(もちろん幼少期はそうではない)ようにも思います。
    最初は心配はしていましたが、今のところお金の管理ができているようです。

    ■小学生:(定額制)学年×100円

    小学生の間は「学年×100円」というおこづかいとしています。
    みみ姫が2年生になった時に、金額UPをすぐには言ってこなかったので、放置していました。
    おこづかいUPにも交渉が必要だと思ったのです。

    親を説得できるような理屈を考えてもらわないとUPすべきではないと思ったんです。
    ちょっとした誘導したことが功を奏し、数ヵ月後に「2年生になったからおこづかいあげて」と提案してきました。
    今でも交渉してこないとおこづかいUPはしていません。
    学年があがったら自動的におこづかいを上げるとしてしまうと、大切なコミュニケーションの機会を失います。
    結果が同じであっても、大切なことを使える機会を大切にすべきであると思うんです。

    ■中学生:(定額制)学年×1000円+(部活交際費)1000円

    みみ姫が中学生になった時、おこづかいをどうしようかという話の中で、小学生時の流れだと700円ということにもなるわけですが、中学生と小学生と別物だと思います。
    中学生からは本格的に部活動が始まりますし、友人との本格的なつきあいが始まってきます。

    そうしたことを考えるとそれなりの金額にしておかないといけないと思いました。
    とはいえ、いくらが妥当なのかはよくわかりません。
    それは娘の様子を見ながら親として娘にも理解できる理由を持って判断していくしかありません。




    <他人は関係ない>


    おこづかいが「学年×100円」というのは、おそらく少ない部類に入ると思います。
    娘も「友達はもっとたくさんもらっている」という交渉をしてきましたが、他人がどうかという比較論は受け入れませんでした。
    おこづかいをUPするのなら、「自分でおやつを買いなさい」と返したりと要するに他人は他人なんです。
    厳しいとは思いますが、他人との比較「だけ」で来た場合は絶対に譲りません。

    大きなお金を持たしたら危ないと思ってるのではないんです。
    実際、お年玉は全部渡しています。
    報酬制おこづかいも別にあるわけですし、我が家には我が家のルールがあるということを理解してほしいんです。
    そのルールは話し合いにより変更は可能であるわけです。
    更にそれには他の家がどうだということは影響しないということを親がブレないことを大切にしています。

    うさみみの感覚では、定額制おこづかいは「交際費」のイメージです。
    それが妥当なのかどうかは、子どもを見て考えるということです。




    <おこづかい帳>


    おこづかい帳については、小学校低学年では義務としてつけさせました。
    おこづかい帳と残高が合わなければ、おこづかいをあげないようにしました。
    最初は、計算間違いとか付け忘れとかで合わないこともしばしばありました。
    そういう時は、根気強くしかも優しく諭します。

    家計簿をつけてない夫婦が子どもにはおこづかい帳をつけさせるというのは矛盾しているかもしれませんが、おこづかい帳はお金を管理させるというイメージに合致しているのでやらせました。
    おこづかい帳をチェックしたのは最初の半年くらいだけです。
    今は義務ではありませんが、付け続けているようです。

    おこづかい帳には、うさ姫が小学校低学年の時に、とんでもないエピソードがあります。
    うそのような本当の話です。

    あまり付き合いのなかった友達が遊びに来た時の話ですが、うさ姫の財布から5千円がなくなったという事件がありました。
    ビービー泣いているうさ姫。姉のみみ姫も知らない。友達も知らないと言います。

    でもうさ姫がちゃんとおこづかい帳をつけていたことから、5千円が盗まれたことが証明できたのです。
    実はその友達が盗んでいたんです。
    妻が全員の行動を問いただす中で、不自然な行動としてその友人が「財布を見せて」という流れがあったのです。
    もともと友達といえるのか定かではない子だったので、我が家にあがり込む時点で怪しかったわけですが…。
    問いただすとその子が5千円を持っていました。
    (お金には名前が書いていないので、よく妻がその子に白状させたなと感心しましたが…)
    おこづかい帳という記録が威力を発揮したんですね。

    そんなこともあって、おこづかい帳をつけてお金を管理することの重要性は娘達に伝わったはずだ思います。
    ある程度子どもが大きくなれば、どうお金を管理するかは自己責任だと思います。
    自分で好きな方法で管理すればいいと思います。
    親は静かに見守るだけです。





    <一貫した姿勢で>


    お金のことを子どもに教えるには、おこづかいはとてもいい機会となります。
    自然な流れでそうした機会をとらえることもとても大切なんです。
    そこで大事なのは、親として何を伝えたいかという思いが基本となるということです。
    その想いによってやり方も金額も変わってくると思います。

    その想いと金額のバランスは一貫してゆるがない姿勢が大切だと思うんです。
    親の気まぐれでお金を渡すなんてことはありません。
    妻と必ず相談しますから、気まぐれなんてありません。屁理屈であっても理由が必要になります。

    子どもが何かにお金を使った時は、何に使ったか聞くことはあっても、使い方にはできるだけ口を出さないように心がけています。(実際はちょこっと口出ししてしまいますが…)
    聞かれればアドバイスをします。
    お金の使い方が親から見て失敗だと感じたとしても、それは子どもにとって学ぶ機会となります。
    子ども自身が失敗したなと感じて自分で考えることが大切です。
    子どものうちだからこそ失敗しても親がフォローができるんだと思います。

    貯金ばかりしていると「ちょっとは使え」と言ったりします。「お金は使うためにある」なんてね。
    そういえば貯金しなさいって最近、言ってないな。
    むしろ「使え」と言っているな。

    先ほど「お金が盗まれた」という話をしましたが、「友達に貸したお金が返ってこない」とか「お金を落としてしまった」なんてトラブルもありえます。
    でもそうしたトラブルは、親としては子どもに何かを伝える絶好のチャンスなんですね。

    今後の最大の課題は「携帯電話」ですね。頭が痛いです。





     
     
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